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VERBE〜動詞的な日常

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「動詞としての文化」とは何かの考察
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2022年4月の記事一覧

連休前なので

連休前は仕事を詰め込むが、それでも決して終わらない。今日はフランス語教育に向かい、自分のフランス語の底上げをし、また教育についての新たな要素にアプローチした。そのようなことを繰り返しているだけで、時間は過ぎていく。

明日から連休だが、まだ仕事が残っている。フランス語教育と、文学研究と、国際文化学研究のあいだで、仕事が次々と降ってくる。体力を温存するためにも早く休もう。書き続けるルーティンに固執せ

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図書館で遊び狂う子供を眺めながら

仕事の合間に府立図書館に子供を連れて行った。

ステイホームが長かったので、図書館の頻度も減った。1歳の子供の記憶はすぐに消えるため、図書館の記憶もないのだろう。今日は児童書の本棚に囲まれた次男が興奮し、走り回っては本を出し、読んでは次の本を読み……と、図書館を満喫していた。

絵本や図鑑に囲まれるという体験が子供の中に特別な何かをもたらしたのなら、返却の時はまた連れて行こう。個人的に、本を読むの

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規範のあいだに目を向ける

西洋音階はドレミであり、ピアノは明確に区分された音に分かれている。ギターもフレットによって音が分割されているが、弦を上下に動かすことで、dドレミ以外の音を出すことが可能だ。

ギターからフレットを取り払うのがスライドギターと呼ばれる演奏法である。これは瓶などで弦をなぞることで、フレットとは別のところで音を作る。普通のギターでもできるが、スライド専用で膝に置くタイプのギター(ラップスティールギター)

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若い感性の中に本質を見出す

『パリ13区』のロードショーが始まった。

Je peux poser une question ? C'est quoi ta vie sentimentale ?
(質問していい?あなたの性生活ってどんな感じ?)

予告編の冒頭は不可思議な言葉で始まる。中国系の若い女性がルームメイトを募集したところ、うっかり男性の高校教師がやってくる。その最初の会話がこれだ。

前篇を通じて性描写が多い作品で

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初等教育と初修外国語の連続性

子供の参観日だったので、自分の授業後に小学校へ行った。本来は子供の姿を見るものなのかもしれないが、職業柄、教員の授業風景をじっくりと観察する。

小学校の授業では、落ち着きにばらつきのある子供に一斉授業を行う。当然ながら前提として担任制があり、できあがったクラスの一幕を見せてもらう。その条件は、15回ごとにリセットされる大学の授業風景に通じている。新たな受講者を迎え、集中力や関心にばらつきのある受

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未だにルーティンを柔軟に破る

書くことがない日を記録する。

今日は授業を行い、学生と議論し、授業準備をし、関係部署の人たちとディスカッションをした。それなりに多くのことをやったが、記録して転用するまではいかない。無理やりの考察をやめ、簡素な記録で終わっておく。ルーティンは柔軟に破り、また続ければよい。

SDGsから教学マネジメントを考える

日曜は簡単に。

朝からSD研での発表だった。今日はごく内輪で、教学マネジメントについて。大学の組織と教育をスムーズに繋げるべく、様々な工夫を施す必要があるのだが、およそ「大学改革」という言葉は既存の大学を迷走させるかのようなイメージを伴う。

この教学マネジメントについてSDGsとの関係で考察を展開することにどんな意味があるのか。それは一言で言えば「それぞれの立場を意識すること」に他ならない。

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スポーツ文化と向かい合う中で

スポーツと勉強は二項対立のものではなく、連続性を持つ。しかし運動が得意なら勉強が苦手、あるいは勉強が得意なら運動が苦手、という対立軸がいまだに根深い。これは僕自身もそのようなマインドに見舞われていたゆえのことだ。

得意・不得意という軸とは無関係に、身体で生じる文化性に向き合う中で、スポーツと学問は一続きの関係にある。得意である必要はなく、ただ必要に応じてスポーツに接することができるかどうかがポイ

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ゆるやかな持続性

ゆるやかな持続性。
ルーティンにしすぎると、内容よりも習慣が先行する。
今日もたくさん学び、アウトプットしたが、それを今まとめるのはやめておこう。
今日はこれで終わる。ゆるやかに持続するために。

一気に動き、空白となる

オンライン授業に向かい合いながら、無駄が消えて増えた時間でいろいろと考え続けたこともあり、おそらく前後で自分の価値観が大きく変化している。コロナ禍は自己の反芻にはちょうどよい機会だったのだろう。デバイスが変化し、価値観が変化した。それを対面に戻すため、当然ながら「すべて戻る」ということはない。

僕はこの変化を「進化」と捉えている。研究業績はさほど増えたわけではないが、無理やりの仕事が減った分、様

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解体・創造・再出発

少し遅れたが『ドライブ・マイ・カー』を見てきた。

村上春樹の原作から離れている描写が多かったが、物語の内容は昨今の村上のテーマと呼応している。

家族関係の機能不全から、個として生きることを選択せざるを得ない人間が、演劇というコミュニティを「車」で行き来する。ドライバーもまた「個」が際立つが、「車」はその二人を内包し、家族の問題・不条理と対峙することで新たなコミュニティが創造されていく。

フラ

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語学と国際文化学を融合させながら

国際文化学のファクターとして「言語」は欠かせない。だが外国語教育はそれ自体が独立したメソッドである。国際文化学を研究しながら、外国語教育を展開する際、その方法論を統合できずにいた。

しかしその答えは自分の中にあった。

近畿大学のフランス語は大学側から指定された教科書を使用する。その教科書に慣れていく中で、自分のフランス語教育がローカルなものに収まっていく。教科書批判ではなく、教科書に従属すると

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手間のかかる作業を一つずつこなしながら

研究費は事後申請となるため、春期休暇中の領収書を一つずつ処理していった。考え方を変えるとこれらは研究ではなく、それに付随する作業だ。そういったものをまったく無視し、誰かにやってもらうという考え方もある。しかし自分がアウトソーシングしたところで、その作業は無くならない。

ある仏教研究者が、大学院生の頃に有名企業の会社員に「マウンティング」されたらしい。仏教研究者が研究をしているあいだに、有名企業の

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町をゆっくりと歩きながら

日曜は簡単に。

昨日の手術から一日経ち、今日は経過の診断のために病院へ行った。いつも自転車で移動しているが、症状もあって電車と徒歩で向かう。途中でイヤホンのBluetoothの接続が悪くなり、町の音を聞きながら布施のアーケードを歩いて病院を目指す。

商店街のアーケードは故郷・弘前市の中心街の記憶を喚起する。それももう無くなって十年以上が経過した。アーケードの町を歩きながら、幼少期の記憶を甦らせ

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