規範のあいだに目を向ける

西洋音階はドレミであり、ピアノは明確に区分された音に分かれている。ギターもフレットによって音が分割されているが、弦を上下に動かすことで、dドレミ以外の音を出すことが可能だ。

ギターからフレットを取り払うのがスライドギターと呼ばれる演奏法である。これは瓶などで弦をなぞることで、フレットとは別のところで音を作る。普通のギターでもできるが、スライド専用で膝に置くタイプのギター(ラップスティールギター)も存在する。

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ギタリストたちはなぜこんな奏法を編み出したのだろうか。歴史を調べればわかりそうだが、おそらく西洋以外の文化をバックボーンとする人たちが、自分たちの自然なフィーリングをギターに乗せようとしたことに関係がありそうだ。

西洋の音楽を規範とする意識の中に、規範のあいだにある音が聞こえる。僕らは西洋を「クラシック」とし、ドレミを規範として音楽を捉えるが、そこから様々な音楽がはみ出していく。それらを「民族音楽」「ワールドミュージック」などと呼ぶことで、非西洋をそれなりのジャンルに入れようとするが、それ自体が無意識のヒエラルキーに囚われたものだ。

では、それを知る自分は子供に何を教えるか。「ピアノくらいできた方が」という紋切り型の言葉を繰り出すか、あるいは子供が繰り出す何らかの音に創造の萌芽を見るか。

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