解体・創造・再出発

少し遅れたが『ドライブ・マイ・カー』を見てきた。

村上春樹の原作から離れている描写が多かったが、物語の内容は昨今の村上のテーマと呼応している。

家族関係の機能不全から、個として生きることを選択せざるを得ない人間が、演劇というコミュニティを「車」で行き来する。ドライバーもまた「個」が際立つが、「車」はその二人を内包し、家族の問題・不条理と対峙することで新たなコミュニティが創造されていく。

フランス語において車(voiture)は前置詞enを伴う。これは車が「中身を持つもの」であり、人間が車の内部に入り込むことに関係する(昨今は乗り物におけるenの使用範囲が広がってしまっているが)。極点と極点を結ぶ車の中に、二人の人間が包まれ、家族が新たな形で作り直されていく。

劇中劇としてチェーホフ『ワーニャ伯父さん』が織り込まれる。家族の機能不全と不条理を描く物語のテーマが、『ドライブ・マイ・カー』の主題と響き合う。このテーマは村上の問題意識に触れ、作品を超越し、僕らをさらに大きな文学世界へと誘っていく。

そういえば『ドライブ・マイ・カー』はビートルズの曲名だ。ここにジョン・レノンの物語まで読み込むのは考えすぎかもしれない。

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