見出し画像

人生の入り口

大学を続けている。
あれほど辞めたかったのに

「卒業しないの悔しすぎる。
こんなに涙を流して、大好きな人たちに出会ったのに、たかがカリキュラムに負けたくない」

やめるには、この大学は素敵すぎた。
第一に人が本当に穏やかで、良い意味で大学らしくない、アットホームな雰囲気。
ここにいる人たちを、知れば知るほど好きになる自分がいた。
サークルに居場所を見つけてしまった。
教授達は距離が近くて、相談が苦手な私でも、
高校の先生のように時間を作ってゆっくり話をしてくれる方も多くいらっしゃるのだと、病気になって分かった。

春休み、私は友人と旅行に行き、コインロッカーのお金を払って、荷物を2人分一緒のロッカーに押し込んだ。
こんな小さいことだけど、役に立ちたくて、
慣れない方式のロッカーにお金を投入して、ドキドキと新宿駅のダンジョンに挑む。

そこで現金で支払った人は、レシートを受け取り保存しなければならなかったことも知らずに旅行を終えた私達は、
案の定私がレシートを受け取り忘れたことで荷物を取れなくなってしまった。

ロッカー会社の電話対応時間も終わり、帰りのバスを見送り、延泊が決まった。
泣き崩れる友人を前にして、

自分はどうして
大切な人を喜ばせたいだけなのに

恩を仇で返し続ける申し訳なさがずっとぐるぐる回って、涙は出てきそうだったけど、自分が悪いから泣かなかった。

無事翌日にロッカーを空けてもらって帰れたけど、ほとんどひとことも喋ることはできなかった。
もう私は人の役になんて立てない、生きていても家族や友人を悲しませる、でも生きていたい
もっとあなた達と思い出を作って、ここしかわからない内輪ノリが増えて、人生の節目を祝いあって、人生って楽しかったって、思いたかった。
死ぬには傲慢にも幸せに生きさせてもらった。
その理由が家族や友達で、でも私はこの先も彼女達に不幸を持ってくる人で、、、何日も何日も泣いて、うまくご飯が食べられなくて

でも、そんなことがあったのに、ロッカー事件に巻き込んだ友人は旅行のさまざまなシーンを切り貼りして1本の動画を作って見せてくれたのだ。
私のどうしようもないニヤケ顔、一緒に見た風景、本当に綺麗で、愛だなってなってしまった。
彼女にとって私との関係は、ロッカーでなんやあっただけでなくなるものでなかったようだ。

友情でなくて愛で、本当にそれが胸を焦がすほどあったかかったし、今の私の心臓は冷たすぎた。

私の人生は、試練がてんこ盛りで作られている。
でも、その時々で必ず大切な人が命を繋いでくれて、私の命の尊さについて教えてくれる。

自分はたぶん一生をかけても愛を返せないことが
わかっていて、それでもいいと思ってくれる人。
本当にあまりにも幸運で、苦しい。

だけど、だからどんな道を選んでも大丈夫になる、とも思った。
私は死なないと思った。
それに気づいてから、私としての生き方が始まった気がした。

幸運にゆだねて、少し自分を生きてみようか。
前のnoteで、「人生をリサイズする」といっていた。
最近は新しい目標ができて、リサイズというより
新しい地図を手に入れた気分だ。
私はグラフィックデザイナーになりたい。
幼い頃から、夢を見てはあきらめてきた。
でも、意外にも間口は広いと知った。
学べる場所があり、大学既卒者は奨学金もあると知った。
どちらにせよ卒業まであと2年しかないのなら、
今は大学生を楽しもうと思った。
私にしかない経験、私にしかない問題意識を、もっと昇華できるまであたためて、考え続けて、
それに時間を使おうと。
だから、就活はしません。(言っちゃった)

note、1年と2ヶ月が経とうとしています。
写真アプリでみる1年は、たいして何もなかったじゃんと思ったけど、
ここに残していた青さが、私の1年だった。
ちゃんと生きて、学んで、失って、得ていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?