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ちゃんと生きる

5月27日(月) 梅雨入りのような激しい雨。月曜日からこれはきつい。


ただ生きるだけなら、まあ食ってさえいればいい。でも誰しもただ生きるのではなく、ちゃんと生きたい、と思っていると思う。少なくとも僕は、ちゃんといきたいと思っている。

一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである

プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』岩波文庫 p86

僕がここで使っている「ちゃんと」という言葉は「善く」という言葉とほぼ同じ意味だと思ってもらっていい。

ただ、単に生きることで精一杯の人もいるだろうし、別に善く生きなくたっていいじゃないか、っていう人もいると思う。
それでも、僕はちゃんと生きたい。ちゃんと生活したい。

生活、という言葉も出てきた。小学校の教科にもある言葉。生活という言葉が意味しているところは、正直あまりまだつかめていない。もう少し考える必要がある。

ではちゃんと生きる、ってのはどういうことだろう。それは、当たり前のことを当たり前にするってことなんじゃないかな。

何が当たり前で何が当たり前じゃないのかというのは人によって違うと思う。人への接し方、1日のライフスタイル。習慣、という言葉にもつながってくる。何がその人の習慣なのか。何を習慣にしたいと思っているのか。

当たり前が人によって違うとしても、それぞれのひとのなかに当たり前はある。必ず。その人なりの当たり前がある。その人が当たり前だと思っていることをちゃんとする。これがちゃんと生きる、ってことだと思う。

だから自分は何を当たり前にしたいのか、何を当たり前だと思っているのか、それをしっかり考えて、言葉にする必要がある。そして、それを行動に移していく。

自分が当たり前だと思っていることでも、できていないことがある。たまたまできない日もある。そのできてなさをしっかり考える。見つめる。それもちゃんと生きるってことだと思う。自分の生活を見つめる。

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