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「残酷な進化論」更科功著 書評

<概要>
進化が人間の都合にとって必ずしも「良き事」には繋がらない事実を「残酷」と表現して解説した著作。

<コメント>
更科功の著作は「絶滅の人類史」に引き続き2冊目。

「絶滅の人類史」同様、簡潔で読みやすく「なるほど」感満載の著作で本書「残酷な進化論」も一気に読むことができました。

著者も強調していますが「種として生き残っていくこと」を生物としての目的=善とすれば「進化イコール生き物の善」ではありません。進化した結果、生き残れなくなってしまう場合だってあります。

著者曰く

進化というのは単に変化することであって、よくなることも悪くなることもある。生物にとっては生きること自体が目的であって、それは人も大腸菌も同じである

一方で「生物にとっての善=種が生き残っていくこと」は「我々個人にとって善きこと」と一致しない場合もあります。この一致しない場合を著者が「残酷な進化論」と称して紹介しているのが本書です。

著者の理屈を整理すると、以下の3つは一致しません。

①進化     =生き物(というか遺伝子)が変化すること
②生物としての善=種として生き残っていくこと
③人間としての善=(人によるが著者の場合は)我々個人が快適に生き続けること

ところで利己的な遺伝子で有名なリチャード・ドーキンスが遺伝子を「盲目の時計職人」と呼んだように、生き物の生は、本質的には善悪の領域で扱うカテゴリーではありません環境に適応した生き物が生き残り、環境に適応しなかった生き物が絶滅する、という事実があるに過ぎません。

したがって本書でいう「②生物としての善」は、言い換えれば「生き物の特性」のことで「生き物は、種として生き残るよう仕組まれた特性を持つ」ということ。これを強引に善悪で判断しようとするから「残酷」になるのですね。

さて本書では、それぞれの臓器などについて「残酷論」が展開されますが、以下面白かったエピソードをメモりました。

■なぜ私たちは死ぬのか(終章)

われわれにとって最も不幸な出来事ともいえる「死」。でも「種として生き続ける」という特性上、それぞれの個体は死んでもらったほうが種として生き残る確率は高くなります。元々生き物は無性生殖だったので、全く同じ遺伝子を持つ個体がどんどん増え続けるもの。一卵性双生児がどんどん増えるようなイメージです。

ところがその遺伝子にとって生き残れない環境に変化してしまったら(特に感染症)、そのまま種は絶滅してしまいます。したがって、どんな環境でも生き残るべく変化し続けるよう進化した生き物、つまり有性生殖生物の方が生き残る確率は高くなります

一方で有性生殖では古い個体が生き続けてしまうと全体数が増えていき、限りある食料は使い果たしてしまう。だから「それぞれの個体は(子孫を残した後は)どんどん死んでもらって新しい遺伝子のパターンがどんどん永続的に変化していく方が種として生き残る確率が高くなる」いうことです。

■なぜ人間だけが難産なのか?(第10章)

残酷な事例としては、お産も取り上げられています。人間だけがなぜ難産なのか、ということ。実は他の動物は難産ではありません。皆苦しまずに子供を産みます。チンパンジー然り、お馬さんしかり。人間が難産なのは直立2速歩行のため、骨盤が狭く、かつ産道がS字状だから。しかも脳がデカイ。実は動物のうち人間だけが骨盤のサイズが男女で異なっている。脳が巨大だからです。でも人間は難産のリスクを克服したからこそ、直立2速歩行で脳がでかいというメリットを享受できたとも言えます。

ヒューマニエンスによれば

赤ちゃんの頭、というか頭蓋骨は産道を上手に通れるよう拡縮できるようになっています。だから生まれてしばらくの間は頭が柔らかく、固まるまでデリケートに扱わないといけないのです。

■腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」(第3章)

ここは「残酷な事例」ではありませんが「人類は最も進歩(進化ではない)した生き物」という誤解を説くためのチャプターです。具体的には「尿(窒素の排出方法)」に関しては哺乳類よりも鳥類の方が進んでいるという事例を紹介。

我々の身体は有機物の集合体。そして有機物には寿命があるので、身体は有機物をどんどん入れ替えています(動的平衡という)。つまり「食べる」というのは生命維持のためのエネルギー獲得だけでなく、この身体(細胞と言ってもよい)を維持するためにも必要な行為

成人換算で1日あたり300−400gの有機物(タンパク質)が分解されているというから、その分有機物を摂取していかないと体は維持できないのです(ちなみに老化現象とはタンパク質合成能力が遺伝子の欠損で失われていく現象)。

タンパク質は「水素H」「炭素C」「酸素O」「窒素N」で構成されますが不要になったタンパク質は「水素」は「水」として、「炭素」は「二酸化炭素」として、「酸素」は「水」と「二酸化炭素」として放出されますが、残った「窒素」は尿として放出されます。

窒素を放出するには最も単純な窒素化合物の「アンモニア」が一番生き物に負荷がかかりませんが毒性が強いという問題があります。

ただ魚の大部分を占める硬骨魚の場合は水中に生息しているので、水に溶けやすいアンモニアは体を害する前に放出が可能。

しかし陸上生物はこれができません。したがって陸上生物のうち哺乳類・両生類は肝臓でオルニチン回路と呼ばれる複数の化学反応によってより毒性の低い「尿素」の形にして尿として放出しています。ところが尿素は水に溶けにくいので、大量の水とともに放出する必要があり、我々はこの結果たくさんの水分を取る必要があるというデメリットを甘んじて受け入れてます。

一方で鳥類・爬虫類は、尿素ではなく「尿酸」として窒素を放出できるので、たくさんお水を飲まなくてもそのままドロっとした形で放出可能。つまり窒素を放出する機能は鳥類が進んでいるのです。鳥の糞のうち白い塊がありますが、この白いのが尿酸です。

以上、「環境により適応した生物を進歩的」と定義すれば、ダーウイン自身「進化は進歩ではない」とはっきり言っているそう。環境に適応した生き物だけが生き残る。

ところで人間社会もなぜか同じように感じます。セブンイレブンを作った鈴木敏文氏のスローガンは「変化対応」

「変化に対応したものだけが自然の世界も人間の社会も生き残ることができる」というのは、どの世界も同じかもしれません。

*写真:2018年 那須どうぶつ王国 ハシビロコウ

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