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「ウヨク」「サヨク」という宗教

私は、オーソドックスな「民主主義」が政治信条で、現段階では誰もが納得できる最も普遍的な考え方だと思っています。

この考え方はシンプルで「異なる考え方を共存させる」ということ。

なので、民主主義の反対は「原理主義」。

原理主義とは「異なる考え方を排除する」ということ。

幸いにして、私たちが住んでいる日本は、民主主義が憲法で保障されていて本当に幸せな国だと思います。

なので昔からよく言われる二つの政治信条「ウヨク」「サヨク」も、信じている人がいる限り、共存させるのが民主主義であって、排除させることは民主主義に反します。ところが彼ら彼女らの一部には行き過ぎる人がいて原理主義化する場合が多々あります。

■原理主義化の代表的事例

⑴日本

一番典型的なのが「選択的夫婦別姓に反対」という態度。これは民主主義ではありません。「家族は同じ名字であるべき」という考え方を相手に強制し、「家族は別の名字でもいい」という考え方を排除しようとする考え方です。

よく誤解されますが、選択的夫婦別姓は、夫婦同姓にしたい人を否定しているわけではありません。むしろ積極的に同意しているのです。ただ「同姓になりたくない」という異なる考え方も共存させようとしているだけです(日本の名字の歴史的背景については以下参照ください)。

⑵アメリカ

アメリカでは「人口中絶を認めない」という態度。これも民主主義ではありません。「受精した時点から人間」という考え方を相手に強制し、「妊娠して22週以降から人間(母体外において生命を維持できない期間は人間ではない)」という考え方を排除する考え方。

これも同じ。「人口中絶をしたくない」という人はそれでOK。でもこの考え方を相手に強制させているのが「人口中絶禁止」の法律(アメリカの分断状況については以下参照ください)。

■宗教は「何が正しいか」ではなく「誰が正しいか」

「ウヨク」「サヨク」は政治信条と言ってもその構造は「宗教」と同じ構造を持っています。宗教的思考パターンは「何が正しいか」を信じるのではなく「誰が正しいか」を信じるのです。

つまり、さまざまな政治課題ごとに個別に自分で考えて判断するのではなく「保守派の有名人が言うから正しい」「支持している政党がいうから正しい」という思考パターンです。アメリカの共和党と民主党の分断もおおよそこの思考パターンの類型です。

これは宗教の思考パターンで「教祖が言うから正しい」「聖書やコーランに書いてあるから正しい」という思考パターン。

例えば「ウヨク」の場合、先日お亡くなりになった「安倍元首相の言っていることは全て正しい」「トランプ元大統領の言っていることは全て正しい」となります。

逆に「サヨク」の場合、日本共産党は、党員全てが寸分違わず同じ考え方に染まっていて、まるで一つの教義を全員が共有しているかの如きです。「安倍元首相のいっていることはすべて間違っている」のほか、「党の言っていることは全て正しい」となります。

■「誰が正しいか」という内集団バイアス

「誰が正しいか」という宗教的思考パターンは、行動経済学的には「内集団バイアス」という現象です。内集団バイアスとは、

自分が所属する集団(内集団)のメンバーの方が、それ以外の集団(外集団)のメンバーに比べて人格や能力が優れていると認知し、優遇する現象を内集団バイアス、あるいは内集団びいきと言います。

(錯思コレクション100より)

内集団バイアスに関して、有名な心理学の実験(タジフェルの実験)があって「(全くの偶然である)コインの裏表で集団を分けても、同じ集団のメンバーには親しみを感じ、違うメンバーには敵対心を感じてしまう」という人間心理。

人間は集団をいったん作ると結束力が強くなり、これが人間という種をこれだけ繁栄させたのですが(絶滅した同じヒト属のネアンデルタール人との違いと言われている)、これがバイアスとなって「何が正しいか」という思考パターンよりも「誰が正しいか」という思考パターンに陥りやすいわけです(詳細は以下参照)。

でもこれはもちろんいい面の方が多い。内集団バイアスが仲間意識を育ててくれてワンチームだとか言ってチームの結束力が強まって、さまざまな幸せを私たちにもたらせてくれるから。

何よりも我々ホモ・サピエンスが繁栄しているその大きな要因なのですから。

■「心の余裕」よりも「思考の余裕」

私の知り合いにも内集団バイアスが強い人がいるのですが、そして内集団バイアスが強い人は仲間意識が強いので、思いやりのある良い方が多いのですが、私が言いたいのは「自分の頭で考える訓練をしましょう」ということ。

そして「異なる考え方の存在も認めましょう」ということ。異なる考え方を受け入れる必要もないし、理解する必要もないのですが、少なくとも自分の考え方はこうだけど「違う考え方があってもまあいいよね」というぐらいの余裕のある感じ。これが「思考の余裕」

例えばカトリックの「諸宗教対話」は、他の宗教とも積極的に関わってお互いを尊重しようとする態度ですが、ここまでやる必要はないかな、と思います(詳細は以下参照)。

そして民主主義という考え方(ヘーゲルのいう自由の相互承認)だけは、どんな考え方を信じていても全員で信じましょう、ということです。

なお民主主義の考え方は一見「なんでもあり」の現代思想=ポストモダン(浅田彰、東浩紀、内田樹、千葉雅也など)の考え方と同じように感じますが、全く違います。

ポストモダンの場合は民主主義でさえも普遍原理として認めずに相対化してしまうから(そしてポストモダンは「なんでもあり」も絶対ではないという自己矛盾を抱えてしまう)。

*民主主義の原理の詳細は以下参照

*写真:バチカン市国のバチカン宮殿(2007年撮影)


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