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「国家(上)」プラトン著 書評

<概要>
国家に必要なリーダーとリーダーが保持すべき魂とその詳細について対話形式で解説した著作。

<コメント>
■哲人政治について
プラトンの政治論で有名なのは、いわゆる「哲人政治」ですが、実際に「国家」を読んでみると、哲人は我々がイメージしている哲学者のことではありません

当時の哲人(哲学者)の概念は、

どんな学問でも選り好みせずに味わい知ろうとするもの、喜んで学習に赴いて開くことを知らないものは、これこそまさに、我々が哲学者(愛知者)であると主張して然るべきものである(第五巻)
それ自体としてあるところのものに愛着を寄せる人々こそは思わく(※)愛好者ではなく、愛知者=哲学者と呼ばれるべき人々(第五巻)

  ※思わく=見たまま、聞いたままの認識のこと(=本質でない表面的な認識)

なので、哲人とは「様々な情報を集めつつ、俯瞰的視野で本質を見極める力がある人」のこと。このような人材が国家のリーダーたるべきであると主張。確かにその通りです。独断に陥らないよう、否定的意見含めてあらゆる意見や情報をかき集め、その上で、物事を時勢に合わせて適宜適切に判断できる人ということでしょう。

■国家のリーダー(守護者)が持つべき資質
上記の哲人の素養のほか、正義の精神を保持した人がリーダーたるべきとの論。人間には理知的(知性)な部分、気概の部分(勇気)、欲望的な部分、があって(魂の3分説というらしい)、欲望的な部分を節制し、理知的部分と気概の部分を兼ね備えた(=正義の精神)人物こそが国家のリーダーという事になります。

従って、滅私奉公の精神が求められ

いやしくも支配者である限りは、決して自分のための利益を考えることも命じることもなく、支配される側のもの、自分の仕事がはたらきかける対象であるものの利益になる事柄こそ、考察し命令するのだ(第一巻)

と、なかなか国家のリーダーになる人は大変です。

個人的には「プライベートは法を犯さない範囲で非道徳でもいいので、政治という仕事だけはきっちりやってくれる人」レベルまでガイドラインを下げないと、なかなか「使える」リーダーは現実的に出てこないのではと思います(今のような清廉潔白を求めるような風潮では、リーダー人材が限られてしまう)。

■国家の目的とは?
これがなかなか的を得ているなあと思います。

国家の目的は、適材適所に国民を配分する機能を働かせることで、国民の衣食住を満たすこと(第二巻)

今風にいえば「国家の目的は、人的資本の最適化によって経済を発展させること」

なぜ国家を作るのかといえば、プラトンによれば、我々一人一人だけでは食べていけないから。国家を作って役割分担し、仕事を分業して人材を最適配分すれば食べていくことができる(=国家の正義)と提言しています。

■ジェンダーについて
本書で興味深いなのは、政治論の中にジェンダー論が混じっていること。国家のリーダーの資質について男女の違いは殆ど関係ないとし、

国家を守護するという任務に必要な自然的素質そのものは、女のそれも男のそれも同じであるということになる。ただ一方は比較的弱く、他方は比較的強いという違いがあるだけだ(第五巻)
我々の国の男の守護者たちも女の守護者たちも、あらゆる仕事を共通に引き受けなければならないと定めることができたし、そしてそれが実現可能にしてかつ有益であるということが、議論そのものによって何とか整合的に確認されたのだ(第五巻)

ということで、細かいことをいえば、他の箇所で「国家のリーダーにはたくさん子供を産ませるために女性をたくさんあてがうべきだ」みたいな部分はあるものの、全般的には男女の違いは子供を産むか産まないかだけであって「男女差を殊更分けるべきではない」と言っているのは古代人とは思えません。想像するに古代ギリシア人は合理的思考が強いので結果このような主張になったのかもしれません。

以上、(上)の紹介でした。

正直「饗宴」「メノン」のような面白さがなく、淡々と進んでいくので読んでいて結構ツラいですが、プラトンの主著作なので(下)の方も完読するよう取り組みたいと思います。

*写真:2018年 京都府丹波「琴引浜」

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