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『運動の神話(上)』ダニエル・E・リーバーマン著 書評「その1」

<概要>

そもそも人間は運動するように進化してきたわけではない」にもかかわらず「現代人は運動しなければならない」その理由について、著者の研究含む、あらゆる進化生物学・人類学の最新の知見から解説した画期的著作。

うち上巻は「運動しない状態」「座っている状態」「寝ている状態」と運動におけるスピード・パワー・戦いについて紹介。

<コメント>

人間は「Born to Run」な生き物だと喝破した古人類学者リーバーマンの最新著作。過去にリーバーマンの『人体』(2013年)を読み、目から鱗が落ちたのを実感しましたが、

今回も、彼の説をさらにパワーアップした感じで、

「身体にとって根本的に何が良いのか?悪いのか?」

について「身体活動面」において『直列二足歩行の人類史』の著者デシルバの「歩行はデフォルト」の説を更に発展的に紹介した感じ(著作の時系列は無視)。

これだけ説得力をもって紹介してくれている人物は、中々いないのではないかと思います。

著者は、本書プロローグにて

進化論的・人類学的な視点が「運動のパラドクス」すなわち「私たちは運動するように進化してこなかったはずなのに、運動はなぜ、どのようにして、これほど健康に役立つのか」という疑問の理解に貢献するというものだ。
本書プロローグ

と端的に本書の趣旨を紹介してくれてます。

そして一般的にこのような研究の調査対象は、先進国に住む人間(英米や、スウェーデン、日本)が多く、偏っている場合がほとんどなので、今に生きる原始狩猟採集民(ハッザ族など)や近代化以前に近い生活をしている農耕民、さらには人間に最も近い生物種:類人猿(チンパンジーやゴリラ等)も調査対象に加えて、ホモ・サピエンスとしての人間本来の機能を解明していこうという点も興味深い。

著者曰く、本書のマントラは

運動の生物学は進化に照らしてみなければ筋が通らず、行動としての運動は人類学を通してみなければ筋が通らないというものだ。
本書プロローグ

さて、上巻に関して、納得せざるを得ない各種エピソードについて、複数回にわたって整理。今回は「人間にとって最も最適な運動量とは?」「運動はしたくないのが本来の人間の姿」

■人間にとって最も最適な運動量とは?

考えてみれば、運動するのは、実は先進国に住む一部の人間のみ。

そして専門家の間では定説となっている「週150分の運動が人間には必要」というレベルの運動をしている人は、例えばアメリカ人でも3分の1以下しかいません。

長距離走を一大イベント(「ララヒッパリ」という)としているメキシコの「タラウラマ族」も好き好んで走っているわけではありません。彼らが走るのは、

それが「深い霊的な儀式であり、パワフルな祈りの形であるから
本書第一章

例えばタンザニアの狩猟採集民ハッザ族は、採集のために女性は毎日8km歩き、男性は狩猟&蜂蜜取りのために同11〜16km歩く。1979年に人類学者のリチャード・B・リーが「カラハリ砂漠に住むサン族は1日2−3時間しか労働しない」というのは仕事量を過小評価していると反論しつつ、他の狩猟採集民の研究でも、おおよそハッザ族と同じぐらいの身体活動レベルらしい。

我々ホモ・サピエンスが20万年前(30万年前説もある)に誕生して以降、農耕牧畜社会になって最長では1万年、近代社会になって、おおよそ200年ぐらいしか経っていないので、遺伝的には私たちは原始狩猟社会に適合した身体(当然、大人でも牛乳が飲めるなど農耕牧畜社会以降に進化した機能ももちろん一部ある)。

つまり原始狩猟採集生活に適応した身体が、我々の身体のデフォルトなわけだから、我々に最も適応した身体活動時間は、狩猟採集民の平均値、つまり1日7時間で、軽作業がほとんどで、活発な活動は1時間ぐらい。

これぐらいの身体活動に適した身体を我々はもっているのです。

実はこの活動量は中世の農耕民も、現代の農業や工場労働者も、調査した結果ほぼ同じぐらいの活動量で、唯一現代のオフィスワーカーだけが15%少ない。

つまり、現代のオフィスワーカーのみ、一日1時間程度の運動をすれば、狩猟採集民と同じぐらいの身体活動ができる、ということ。

■「運動はしたくない」のが本当の人間の姿

とはいえ、多くの人間は基本的にできるだけ運動したくありません。

なぜなら、人間含む生物は「できるだけ多くの子供を作ること、または数少ない子供に大きな投資をして、彼らが将来確実に子供を持てるようにすること」が目的。

だとすれば、生命維持のための必要最低限のカロリー=基礎代謝量を摂取しつつ、残りは食糧獲得と繁殖のためにエネルギーをできるだけ使わないようとっておきたいからです(基礎代謝量は人間の通常使用カロリーの3分の2を占めている)。

運動は、無駄なエネルギーを余計に消費するわけだから、

賢明な狩猟採集民なら、スリルを味わうためだけに8キロ走って500キロカロリーを無駄にするようなことはしません。
本書第二章

たまに獣が獲れた場合は、たらふく食べてそのカロリーを脂肪にしてできるだけ蓄え、繁殖やたまにあるかもしれない飢餓のためにとっておきます。だから「脂は美味しい」。体が欲するわけだから。

そして、溜め込んだエネルギーを無駄遣いしないよう、つまり狩猟採集&繁殖以外の身体活動はできるだけしたくないように我々の体はできているわけだから「運動したくないのが我々の本能」。

体を動かすことを避けようとする傾向は、進化の観点から見て完全に理にかなっている古代の本能であると認識した方がずっといい。
本書第二章

確かに納得。私の連れも「運動大嫌い」なんですが、運動好きな私が異常で、運動大嫌いな連れが、マトモだということですね。


次回は「座ることは本能的に不健康」「最適な睡眠時間とは」について紹介したいと思います。


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