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童話『ある貝のお話』 2,975字



むかしむかし
海の底に一ぴきの貝が住んでおりました。

貝は他の魚達と仲良く暮していましたが、なぜかどこかさみしそう。
そして、ケガでもしているのか、いつも何だか少しつらそうなようすでした。

心配した世話好きなタツノオトシゴやタコが声をかけます。
「貝さん、だいじょうぶ?」
「どこか痛いの?わたしがケガに良くきく海草を持って来てあげようか?」

でも貝は「ありがとうございます。だいじょうぶです」と弱々しくほほえむばかり。
その事はあまり話したくないのか、いつも黙ってしまいます。
なのでみんなは、もうそれ以上は何も聞けなくなりました。


貝は心の中でつぶやきます。

(この痛みは私の中に入ってしまった石コロのせい。
だからお薬では治せないのです。
それに外からは見えないところに刺さっているから、
だれにも取ってもらうことができないし、分かってもらえないの)


ある嵐の日に貝の中に入りこんだ石コロは、ゴツゴツとんがっていて、ザクザクと貝のやわらかい身体を傷つけて苦しめるのでした。
そしてとても深く刺さっているから、はき出すことができないでいるのです。

貝は苦しみの中で、こう考えるようになっていきました。

 (どうしてこんな目にあうの?
もしかして私が何か悪いことをしたから、神様がバチをあてているの?
ならばこれは、私のせいなのね……)


こうして貝は自分を責めるようになり、痛みはいよいよ増すばかり。
身体も心もどんどん重くなって、貝は押しつぶされそうになっていきます。
そして何をしても少しも楽にはならないので、すっかりヘトヘトに疲れ果ててしまいました。


そんなある日、貝達が住む海に一匹の年取った海ガメがやって来ました。
ずいぶん長いこと旅をしてきたそのカメは、少しの間ここで休むことにしたのです。

やさしい年寄りは、すぐにみんなと仲良くなりました。
そして貝がつらそうにしていることにも、ちゃんと気がつきました。
カメはだまって貝のようすを見守っていましたが、
ふたたび旅に出る日に思いきって声をかけました。

「お若いの、何やら悩んでおられるようじゃの? 
自分で言うのもなんじゃが、『カメのコウより年の功』。
ワシで良ければ話してみてはくれんかのう?」
カメは静かにやさしく貝に語りかけます。

そんなカメになぜかは分からないけれど、まるで包まれるような温もりを感じて、貝は初めて自分の苦しみを打ち明けました。

「かわいそうに……。それはずいぶんとつらかったじゃろう。
しかし、ワシにはお前さんはもう、だいぶ治っているように見えるよ」

その言葉に、貝は少し腹が立って思わず言い返しました。

「……そんな、まだこんなに痛くて、こんなに苦しいのに!?」

「うーん、そうじゃのう。
ワシはお前さんの種族を良く知っておるが、たしかお前さん達には自分で自分を治す力があったはずじゃよ」

「……私にそんな力があるなんて、とても思えません。
だって痛くて苦しくてたまらないから、他のことなんて何も出来ないし考えることさえもできないのに……」

「ふむ。さて、ほんとうに痛いのは身体なのかのう?
じゃが確かに、考えてばかりおっては、苦しみはいつになっても消えんかもしれんのう……」
カメは半ばひとり言のようにつぶやきました。

「こんなつらい思いをするなんて、やっぱり私がいけないのですね……」

これには、今度はカメの方が驚いて聞き返しました。
「どうして、そんな風に思うのかね?」

「だって、私だけがこんな思いをさせられるなんて、たぶん神様か何かのバチなのです。もう、こんな私なんて……」

「おやまあ、そんな風に考えておったとは。
おえらい神様はとてもお忙しい。いちいちバチなどあてたりはなさらんよ。むしろそんなふうに自分をおとしめて責める方が、よっぽどバチあたりじゃよ」

「……本当に?……では、私はどうしたら良いのでしょうか?」

「そうじゃのう。
まあ、ともかくは毎日ちゃんとご飯をよく味わって食べて、お日様の光を浴びなされ。だまされたと思って、まずは毎日ただそれだけやってごらん。
そうしたら何かが変わってくると思うよ。
大丈夫、大丈夫。それできっと良くなるはずじゃから」

それだけ言って、カメはニッコリほほえむと、また旅立って行きました。


「神様はバチなんかあてない」というカメの言葉に、貝は少し救われた気がしました。
ですが、「自分を責める方がバチあたり」「ただそれだけで良くなる」ということは良くわかりません。

(いったい、どういうことなのかしら?
自分を責めることはバチあたりなの?
それに、ご飯なら毎日食べているし、お日様だって浴びているわ。
「ただそれだけで良い」だなんて……)

でも、貝はすっかり疲れ果てていたので、もういろいろと深く考えることをあきらめました。
そして、その日その日をただ、たんたんと生きていくことにしたのでした。


そうして日々を過ごしているうちに、貝の身に不思議な変化がおきてきました。
今までよりもなんとなく、ご飯がおいしいような、お日様の光が温かいような気がしてきたのです。
そのうえ見なれていたはずの海の景色も、もっとずっとキレイに感じられるようになりました。

貝にはそれが、とてもうれしいことに思えました。

(身体はまだ痛いけれど、最近はご飯が美味しくてお日様が温かい。
海もこんなにキレイだったかしら。
なんだか、とてもありがたいような気持ち……)


こうしてまたしばらく月日が過ぎたある日、
貝はいつの間にか、痛みがすっかり消えて無くなっていることに気がつきました。

そこで、おそるおそる貝ガラの中を見てみると、石コロのまわりを何かがやんわりと包んでいるではありませんか。
それはなんとも言えない、やさしい虹色にかがやいていました。

なんと貝は自分でも知らないあいだに、少しずつ「まく」を作くって石コロを包んでいたのでした。

貝はとても喜びました。

「石コロはまだ残っているけれど、もうぜんぜん痛くない。
それどころか、なんてキレイなの!
形こそヘンテコだけど、これはきっと『私だけの特別なもの』なのだわ」

(ああ……、何だか今やっと、あのカメさんが言ったことが分かったような気がする。


お日様は、他の人たちと分けへだてなく、ずっと私をやしない温めてくれていた。
他の人たちも、みんな変わらずに親切にしてくれていたのだ。
海の景色も、前からとってもキレイだったのだわ。

それなのに、あのころの私は自分を責めてばかりで、自分のことしか考えていなかった……。
「苦しみ」にしがみついて離さないでいたのは、この私のほうだったのかもしれない……)


こうして大嫌いな石コロは、貝のかけがえの無い「宝物」になったのでした。
そして今では、どんなに小さなことでも大切でステキなうれしいことに思えて、心から「ありがとう」の気持ちが湧いてくるのでした。

貝は前よりもずっと明るくなって、心から笑えるようになりました。
そしてなぜかチョッピリ泣き虫にもなりました。
そんな貝のようすに、まわりのみんなも、とてもよろこんでくれました。

「良かったねえ、貝さん!もう、だいじょうぶなんだね?」

「みなさん、ありがとうございます。もう本当にだいじょうぶです。本当にありがとう……」

貝は嬉しくて嬉しくて、また泣きました。

こうして貝は、いつまでもいつまでも、みんなと仲良く幸せにくらしましたとさ。

めでたしめでたし。


《おしまい》


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読んで下さった皆様へ

長駄文をお読み下さり、心から御礼申し上げます。

皆さん、もうお分かりですね。
そう、この貝は真珠貝だったのです。

真珠貝は自分で自分の傷を癒す力を持っています。
そして私達にもきっと、天からその力が与えられている。

私はそう信じます。

どうか皆様のココロと魂が自由でありますように。

感謝を込め
アッシュ拝

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江ノ島で拾った貝の上で寛ぐ『たまちゃん』



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