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夏のトンネルと幻

道東の町釧路では夏、お盆を過ぎた頃からビアガーデンならぬヒアガーデン(=冷やガーデン)というイベントが開催される。
冷涼な気候を生かし、あえて寒い中外でお酒を飲もうぜ!という、釧路人の矜持「短い夏は限界まで気合いで楽しむ」を体現したイベントだ。
釧路人にとって夏がどれだけ限界と気合に満ちているかというと、気温15度の段階でBBQをし始めてしまうほどである。
そう、15度を過ぎれば夏。そこから25度前後まで気温が上がり、7月から8月末にかけ、その短い命を終える。我々は蝉のように「夏だ!夏だ!」と喚き回るのだ。

もっともここ2年ほど夏はそれなりに暑い日が続いており、私がイベントに足を運んだ8月某日、17時の時点では「只今の釧路26.6度、埼玉県26度」と表示されていた。果たしてこれは冷やなのか…という雰囲気がないでもないが、釧路は裏切らない。
美しい夕日の沈む幣舞橋と釧路川を眺めながら、大道芸とノンアルコールビール、西成ホルモン等を楽しんでいると、やはり、海からひんやりとした風が吹き始め、徐々に体温と気温を奪っていく。
ああ、これだ、釧路ってこうだよね、と妙に嬉しく思いながら上着を羽織り、会場近くの繁華街へ移動した。

幼馴染とその母が営むこじんまりとした居酒屋はその日、一組の予約客以外、カウンターは空席であった。
唎酒師である幼馴染が吟味した酒が所狭しと並ぶ中、ノンアルコールのレモンサワーを作ってもらい、肩身をほんの少し縮めつつ、牛アキレス腱の煮込みをいただく。トロトロッと喉に流れ込むアキレス腱とスープが僅かに冷えた臓腑に沁み込んだ。
思えばここに最後に足を運んだのはコロナの前、もう7年ほども前だろうか。その前は10年前とか…いずれにしても足しげく通っているわけではないのだ。けれどいつ来てもそんな空白を感じさせない女将(幼馴染の母)の存在に私は安心を覚える。幼いころ、家にお邪魔して晩ごはんをごちそうになったり、幼馴染が「お腹の中にいた頃の記憶がある」なんて話をして女将が「本で読んだんでしょ」とか切り捨てたりしていた、そんな記憶が頭をよぎって、私は確かに十にも満たない子供だった頃があったのだ、と時間的連続を新たに、自分という人間を建て直すことができる。それがなんとも心地が良いのだ。

帰り道、駐車場に送り届けてくれるまでの道中、幼馴染が美味しいお店やおすすめのバーを教えてくれた。また途中通りがかった赤ちょうちん横丁では小さなお祭りが行われており、普段人気の少ない狭い路地に人がひしめき合い、笑い合い、お酒を交わしている。奥からはチャンチャンと盆踊りの余韻や焼き物の煙が漂ってくる。ぼんやり浮かぶ赤や黄色の提灯と、うっすらだけれど確かに感じる釧路の冷たい空気が、ただただミスマッチのような気がして、背筋がフワフワと所在を失う。

この町の夏は短い。
過ぎてゆく季節の切なさと、それでも消えまいとする季節の生命力と。
今年もしっかり板挟みで、私は「これを秋と呼ぶのかな」と思った。



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