父への手紙 5
是が非でも家で食べる
父は仕事柄、接待という名目で外食をすることも多いが、家庭という枠に戻ると外食は、それ程好まなかった。
また、仕事上の外食での癖があり、いわゆる大衆食堂が口に合わないという態度で、小馬鹿にしている節があった。
家族で外食する際は、ホテルのレストラン、ほぼ決まって中華料理だった。
九九%中華だった気もする。
あと一%はどこかと聞かれても、それはそれで記憶にございません。
父は、一つ気に入ると、そこ以外見えなくなる、純情まっしぐらな性格。
大学時代、登山部に所属していたらしいが、嘘じゃないかと思うくらいにインドア派だった。
一緒にキャンプをしたことがないので、キャンプ場でバーベキューしたり料理したりするのは上手なのか、テントを立てるのが上手なのかなど、火を起こせるのかなど、登山でも必要ないくつかの素養に関しての知識や経験があったのかどうか疑問に思うことも多々あったが、家庭においては家電一つ配線を繋げることすらできない質だったので、テントを難なく建てられるとは考えにくかった。
ここに関しては、母に聞いてみないと分からない。
家族で外出するときは、決まって一人で先に歩く。
とにかく、過去は振り返っても、歩いたら決して振り向かない、一度決めたらそこしか見えず、まさに向かうところ敵なし、でも会社では敵ばかり、それが父を形容するにはベストな表現だった。
家電の接続、ⅠT、社会、世間、共感には疎い父でも、登山部だったせいか、歩くことに関しては好きだったようだ。
あれだけインドア派な父も、散歩に出る時だけは、結構長いこと歩いてから帰ってくる。
以上のことから推察するに、山が好きというよりかは、歩くことだけが好きだったのだと思う。
登山というと、山登り、山道をハイキング、山でキャンプ、雪山登山、などが思い浮かぶが、要は「歩く」のが好きってことで、登山部でなくてもよかったのだろう。
「徒歩部」があれば、そっちに入部していたに違いない。
登山に関しては「歩く」専門、食べることに関しては「家食べ」専門、外食に関しては、「ホテルで中華」が専門。
バラエティーに乏しかった。
母からすれば、どれだけ疲れていても、スーパーの総菜や外食で済ませることができず、苦労したようだ。
総菜を買ってきて出した時も、すぐに総菜だと父にはばれる。
世の中の多くのものの「本物」を見分けられない父だったが、手料理なのか総菜かだけは、質屋並みに鋭い感覚を持ち合わせていた。
しかし、これは逆に捉えれば、母の手料理が大好物という見方もできて、これは母にとっては賛辞だろう。
この嗜好も、自分の気持ちを素直に伝えられない不器用な父なりの愛情表現だったのだろうと思う。
父への手紙
引退前は、庶民の大衆食堂を小馬鹿にしていたけれど、引退後、大衆食堂で一緒に外食するときは、「美味い」と言ってましたね。
景色が変わるというのは、いいことですよ。
身近に「食から得られる小さな幸」を見つけられたのですから。
私の高校受験や大学受験も、一流大学と中央大学法学部を除き否定的でしたが、もし引退後に私が大学受験を控えていたら、どういうフィードバックをくれていたでしょうね。
結果的に一流大学を目指し、受験に失敗したことが、今の自分のグローバルとのコミュニケーション能力と生き抜く力を与えてくれたのは紛れもない事実。
また、あの時、「二浪という選択肢も失敗で終わるというリスク」と「私を未来に通用する人材へ育て上げようと未来に投資をしてみた父の選択」は、見事に後者が正解だったと思います。
ここに経営者が持つべき、「リスク管理能力」と「未来に投資する先見の明」が備わっていたと心より感嘆します。
退職金を留学でほぼ使わせしまって申し訳ない思いで一杯だけど、父親としての責任を立派に果たしたと思います。
ありがとうございました。
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