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授業中立たされる日々

 忘れもしない3、4年生の頃だ。今では虐待と言われるかもしれないが、この時期の担任に一日中立たされ続けるという経験を2年間味わった。もちろん、犠牲者は私だけでなく、全生徒が対象なわけだが、毎週違う生徒が標的となる。ほぼ毎日誰かが立たされるのは決まっていた。

 1時間目がどんな科目でも関係なく、授業中に指名をされる。当時の生徒は、「分からない」と答えれば怒られるだろうと思い込み、「分からない」と言えない恐怖に苛まれていた。「分からない」と言えないからどうするかというと沈黙するわけである。

 沈黙すると担任が「それじゃ、そのまま立っていなさい」と言い、標的となった生徒はずっと黙ったまま立ち続けるのである。

 当時の私たちは、この「立たせられる行為」は、「立たせられた授業内で終わり」と考えていた。立たされたまま終業のチャイムが鳴り、一旦ばらける。次の開始のチャイムが鳴る頃には、席に座って待っている。すると担任が入ってきて
「何で座っているの?誰が座っていいと言った?」
と怒っている。先の授業で立たされていた数名は、ここでまだ黙って立ち始める。各々は顔も合わせることもないが、どうすれば座れるのかを、私も含め考えていた。

 「立たされたということは、悪いことをしたということなのか、であれば、許してもらえれば座れる」と皆が思ったに違いない。少なくとも私は思った。そこで、立たされている一人が
「先生、今度から分からない時は、分かりませんと言うので、許してください」
と先生に訴えかけた。担任が怒っている静寂に包まれた教室の中で、このセリフを言うのは非常に勇気ある行動だ。この訴えも虚しく、担任は何も答えず沈黙を続けたまま、生徒にも目を合わせない。生徒からしたら、まるで無視されていると感じる。

 勇気を振り絞ったクラスメートは、もう一度、同じセリフで先生に許しを請うが、もはや冷静ではいられず、言い終わる前に泣き始めてしまった。今まで、皆の前では泣きたくないという思いが必死に涙を堪えさせていたのだろう。しかし、堪える力よりも怒られている恐怖、許してもらえず明日もこのまま立ち続けるのかという恐怖、この恐怖が来年も続くのかという恐怖が、堪えていた理性を吹き飛ばしたかのように、どっと泣き始めた。もう嗚咽で何を言っているのか分からなくなっている状態。

 指名されて分からないから黙っていたことって、ここまでされる程悪いことなのかと小学3年生ながらに疑問に感じた。最初に謝罪を申し出た生徒は、何度目かの試みの後、座る許可を得られた。

 この一連の流れを見ていた私を含め、立たされていたメンバーは、「もうやりませんと言えば座れる」と即座に思った。すかさず、今度は私が
「先生、今度から、分からない時は分かりませんと言うので許してください」
と申し出た。一度クラスメートが泣いた姿を見たところで、他のメンバーもある程度担任の先生のパターンが読めてきたせいか、これでいけるという前向きな期待を抱いていた。寧ろ、座れる希望とも思えてきた。すると、
「あなたは、一人目が言った真似をしているだけだからダメ。さっきは勇気を振り絞って謝ったから許したけど、ただの真似しているだけの人は座れないよ」
的な反応が返ってきた。

 僅か小学3年に一体何を求めている。逆に立たせている間はクラスも止まっているし、クラスが進められて自分から手を上げて発言をする人も増えたが、どう見ても、立たされたくないがために積極性を見せているだけで、明らかに間違っていることでさえも、手を上げて発言すれば歓迎される環境になっている。この不毛なクラス進行に意味があるのか、と幼心に疑問を抱いた。

 当時、立たされたことを家庭で話しても、親は仕事で疲れ切って子供の話も親身になれない程だったし、まだ先生が怒るなら、あなたが何かしたはずだ、と親からも叱られるような時代。子供にしてみれば、八方塞がりだった。今にして思えば、よく2年間耐え抜いたなと感じる。

 小学3、4年の頃は、学校から帰ると、同じマンションとその近くに住んでいた仲間で、外で遊ぶのが常だった。週末も同じように集まり外で遊ぶが、ファミコンを興じた。日曜になると、毎週立たされている友人が
「また明日立たされると思うと本当に憂鬱だよ」
と日曜が始まったばかりなのに既に落ち込んでいる。嫌なのは、自分も同じで、今週は誰が餌食になるのか、自分達にはコントロールが効かないことだから心配しても仕方がないが、少なくとも無意味に手を上げてちんぷんかんぷんの事でも発言すれば立たされずに済むはずだとは、そこにいる誰もが思っていた。

 月曜日を迎える。例のごとく、嘆いていた友人も私も立たされることになる。何度も同じパターンから学びを得た私は、もはや勇気もいらない程の免疫が付き
「先生、これからは、『分かりません』と言うので許してください」と先行した。すると担任は、
「先生、これからは、『分かりません』と言うので許してください」と同じ言葉を小ばかにするような言い方で返してきて
「先週も同じ事言ってたじゃない。全然治ってない。そのまま立ってなさい」
と追い打ちをかけてくる。この立たされた状態が下校時まで続く。下校になったら帰れるので、完全に振り切っている生徒は、下校になれば確実に解放されるということで、発言も謝罪もしないものもいる。そういう生徒が最も賢いと今なら思える。

 後日談だが、我々はその小学校を卒業した後、私たちの数年後輩となる生徒が、同じことを同じ教師にされたことを親に報告、しかも一人と言わず多くの生徒が親に報告していたことで、父兄からの猛クレームの末、左遷されたとのことだ。 

 できれば自分たちの代で終わりにさせられれば新たな犠牲者を増やすことはなかったのだろうが、それができる程の余力は残されていなかった。時が過ぎるのは静かに待つのが当時の最善の策だった。

 今言えるのは、あの2年間は時間を大幅に無駄にした2年間だったし、意味のない挫折感を味わったと思う。

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