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頂(いただき)を示してもらえることの幸せ

少し前にしょこらさんのツイートに触発されてこんなことをツイートした。

お陰様でずいぶんと反応があった。せっかくなので、ここを少し深掘りしてみたい。今回はそんな話。

師匠とは?

コトバンクによると師匠とは「学問、芸術、または武芸などを教える人。先生」と定義されている。定量化されにくい芸事の中で何かしら秀でていて、それを生徒に教えている人だ。学校の先生とも違うし、会社の上司やメンターとも違う。そして道場の先生とも違う

何らかの形でその芸事の第一人者に出会い、学ぶ縁が生じればその人が師匠と呼べるだろう。そこで金銭的なやり取りが発生することもあれば、発生しないこともある。大切なのは学び手の中で強烈な学びの欲求が発生すること。そして願わくは師匠側で「この相手に教えても良いか」と教える意欲が生じることだ。

たとえば中国武術の世界では「3年かけて良師を探しなさい」という格言がある。同じように教える側も本当に伝えたい相手を見つけるのには時間をかける。

もちろん、たまたま入門した道場の先生が師匠となることも大いにあり得るが、「月謝を納めているから教えてもらえるのが当然」というメンタリティでは姉弟関係は発動しない。

師匠の務め

私の武芸の師匠は師の務めについて、「誰よりも勉強し、誰も追いつけない境地に行くこと」、と話されることがある。親子ぐらい歳は離れているが、私の年頃には上場企業の社長を務めながら、精力的に武道系のメディアにも出て活躍されていた。当時を振り返って、「一日の睡眠時間が短いとかではなく、一週間にどのぐらい寝れたかだよね」、と話される。

そんな師匠と縁が出来たのは20年ぐらい前のラスベガス。武道系のイベントに参加したら、講師として日本から招かれていた。13年前に日本に帰任することになり、かなり気乗りしなかったのだが、「日本に帰ればこの師匠から直接学ぶ機会が得られる!」との思いが背中を押してくれた。

そして師匠は常に武芸的にも、人間的にも圧倒的な差を見せつけながら、それでもついていこうとする人たちを引き上げてくれる。最初の内は師匠の技はもちろん、説明の言葉の意味さえ分からない。芸事は頭で処理できる世界ではない。もし師匠の説明が分かりやすいと感じたらら、それは相手が自分のいるところまで降りてきていると自覚すべき。自分の限られた理解力で評論家的に理解しようとすれば、そんな傲慢な態度は瞬時に看破され、エゴと共に破壊される。自分のコンフォートゾーンから飛び出し、変化、成長に向き合えるかが第一歩

守破離

守破離は日本の習い事の世界で出てくる概念。コトバンクではこのように定義付けている。

剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。 「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。 「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。 「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

芸事のみならず、職人の世界でも同じようなことは言われるし、最近はビジネスの世界でもこのコンセプトについて言及されることが多い。それぞれのステージにどの態度の年月を過ごすかは人による。

一般的にはこのプロセスを一直線のように捉えることが多いが、実際はスパイラルだ。図解にするとこんな感じ。

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元いた位置に戻って、初めて師匠の教えの深さに気づいて、改めて修行が発動する。本物の達人はこのプロセスで新しいものを発見、追加し、それを次世代に伝えていくのである。

自分の道を歩む

武道に限らず、芸事の学びごとは失伝しない限り、代々伝えられていく。その叡智と宝を受け継いで、どのように歩んでいくかは人それぞれだ。真の芸術は受け継いだ人の中で指針としてきちんと生きていく。

とは言え、現実的には様々な理由でその道を歩めなくなることが多い。家庭的な理由、経済的な理由、己の才能の限界、様々だ。アメリカ時代に10年お世話になった師匠は常に、「仕事、家族、武道。この優先順位を間違えないように」、と言っていた。今の師匠も、「経済的基盤がなく、その場の熱意だけで学ぼうとする人が一番続かない」、と看破する。私自身、子供たちがまだ小さかった頃はスローダウンしていた。

師匠が常に見えない頂を指し示し、「お前たちもここまで上がってこい。自分の小さな世界に居着くな。」、と叱咤激励してくれることで、自分の技はもちろん、仕事のキャリアもずいぶんと成長した。転職の報告として今の会社とポジションを伝えた時、家族や両親が喜んでくれたのはもちろんだが、師匠に、「よくやったな」と言われたことは自分の中でも誇りに思える瞬間。

妻からは私に師匠がいること、人生を賭けて深めていきたい芸事があることについて常に羨ましがられる。そうなのかもしれない。10代の時に武芸の世界に踏み込んでから、私の情熱と関心は常にここにあった。師匠や私の周りの近い武芸キャリアを持つ仲間を見ると、彼らとの差に心が折れそうになることが多々あるのだが、ここは自分の道を歩むのみである。

ちなみに仕事のキャリアで言うと、師匠も、親も、妻も口を揃えて、「お前はもっと上に行ける器だ」、と言ってくれている。その期待は光栄なのだが、どうしたら次のブレイクスルーが生じるのか、これは技を深めるのと同じぐらい難しい。

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