【一日一問】寂しいのは子供じゃなくて、私だった
みなさん、こんにちは。Grounding Lifeの長谷川です。
コーチングを学び、プロコーチになって6年。沢山のクライアントと出会ってきました。クライアントとの時間はコーチである私に多くの刺激をもたらします。人生を真剣に生きる、ということにクライアントの姿を通して向き合わせていただいているような気持ちです。
そんな私にとって、一番の学びは『子供との関わり』です。子供の在り方、行動に『はっ』とさせられ、自分の思い込みに気づき、自分の人生を見つめなおすきっかけをもらっているのです。
今日はそんな『子供との関係』の中で、特に『子供の気持ちを思い違いしていたこと』について書きます。
子供に寂しい思いをさせているという思い込み
コロナによる様々な行動制約で、小学校が休みになった子供たち。リモートワークも比較的世の中に広がっている今だから、どうにかなっていることもあるかもしれません。そんな中ふと『これが6年位前の保育園時代だったらどうしよう』と思ったのです。
当時はPCを自宅に持って帰る事ができず、基本的には『出社』が原則でした。東日本大震災の直後は働き方についてとても思い悩んだものです。
あの頃私の気持ちを占めていたのは
『本当はそばにいてあげたいのに。子供たちは寂しいだろうな』
子供は寂しがってる。その気持ちにこたえられない私。可哀そうなことをしている、という思い込みにはまっていました。
思い込みだと気が付いた日
ある時、仕事を終えて慌てて迎えに行くと、自転車の後ろに乗った息子がニコニコと話しかけてきました。
『ママ、今日はどんな楽しいことがあったの?』
『え、楽しいこと…なんだろうなぁ。けい君はどう?何かあったのかな?』
『うん、僕すごい楽しいことあったんだよ!!あのね・・・・』
私はその時のやり取りを今でもよく覚えています。なぜなら、とても驚いたから。私は『息子は保育園で寂しい気持ちで過ごしている』とすっかり思い込んでおり、楽しい時間なんてほとんどない、と思い込んでいたのです。
思い込みって怖いですね。そう思えば思うほど、自分の中の『申し訳なさ』は増幅し、仕事へのプレッシャーも高まっていたのですから。
ありのまま、本当のことを話す、ということ
人はどういう時に『ありのまま本音を言うことができる』のでしょうか。
本音で生きていく方がよいのはわかる。でも、そんな環境や関係性って何?どうすればいいの?そんな声が聞こえてくるようです。
私にもまだ答えはありません。これから先もきっと考え続けていくことかもしれない。ですが、子供との関係性を通じてひとつ思うのは
『目の前の相手に可能性や価値を本気で感じている時、人は本当の言葉を受け止められるし、自分の本音を話す勇気が湧いてくるのだ』
ということ。
子供は私に沢山のことを教えてくれる可能性の塊。そんな風に思うと、子供にとって『話しやすい空気』が満ちてくるのだと思っています。
相手に可能性を感じるということについてはまた書いてみたいと思います。
今日の設問はこちら。
あなたの思い込みは何ですか?
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