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【一日一問】見て見ぬふりをしているのは何か

皆さんこんばんは。Grounding Lifeの長谷川由香です。

昨日はワークショップを浜離宮庭園にて行いました。広い園内にはさまざまな植物があふれ、春の訪れを感じました。時間の流れは確実ですね。

さて、今日は『見て見ぬふりをしているもの』について。

バスを追いかける女性とバス停に並ぶ沢山の人

昼下がりの出来事です。

キャプチャ

買い物帰りの私の後ろから、ヒールを履いた女性がものすごいスピードで走ってきました。横断歩道を斜めに渡り、目指す先はバス停。出発したばかりのバスを追いかけているようです。

そんなに走ったら転んでしまう、と思うくらいの勢いで、走り出したバスのすぐ脇を追いかけていきました。バス停には20人ほどが並んでいました。

動き出したバスは無情にも走り去っていきました。そもそも止まるには少し行き過ぎているような距離でした。彼女は、走っていけば追いつくと思ったのかもしれません。

無理なものを追いかける姿、そして無関心な空気

私はバスに乗る予定がなかったのでその景色を少し遠めから見ていました。追いつくかなー、追いつけばいいのになー、それにしても足速いなー、位の興味で眺めていたように思います。

一方で、2つのことが気になりました。

一つは『かなり無理がある距離からダッシュすることの無謀さ』

追いつくと思えるその気持ちもすごいなと思うし、無理な距離なのに自分を走らせるエネルギーもすごいな、という感心と共に、私には得も言われぬ違和感が沸きました。彼女の空気から『絶対にバスを止めてやる』というような身勝手さを感じてしまったから。彼女は『バスと自分の距離』なんて本当は見ていなかったのかもしれない。何か違うものを追いかけていたのかも。

そしてもう一つは、『バス停でその様子を見ていた人たちの、無関心さ』

あの勢いで誰かがダッシュして来たら『あ、乗るかも』と思ってバスの運転手さんに思わず声をかけてしまうんじゃないのかなあ、みんな全く無反応なんだなと思ってしまいました。

人の数はいるけど全然繋がっていない感じ…助け合うことも興味を持つこともない。これが今の身近なコミュニティなんだろうか、とうすら寂しい気持ちが沸いてくるのでした。並んでいる人たちにとっては『走ってバスを追いかける人』はただの景色に過ぎないのかもしれません。

こういう空気は、何かを投げかけてきている気がしてなりません。

感じ取り方は人それぞれ

これは個人的な『心の癖』かもしれませんが、私はこういう景色を見るととても『寂しい気持ち』が沸きます。大勢の中だからこその孤独感、というのでしょうか。よほど誰ともかかわらず生きている方が気持ちは安全なのではないか、なんて思うほどです。ちょっと、ややこしい癖です笑

この受け取り方はもちろん『人それぞれ』だということも理解しています。

しばしばNoteの中で書いていますが、メールやコミュニケーションに対する応答の有無など、個人の考え方・感じ方の違いによっていくらでもすれ違いが発生します。メールのレスポンスをしない、というのは『その人は存在しなくてもいい』くらいのメッセージだ、と思ってしまう私は絶対にメールスルーをしません。相手への冒涜だと感じるから。

なので、それをされた時の痛みはとてつもないです。この感度は時に自分を苦しめますが、人との距離の築き方においてとても大切なことを自分自身に教えてくれている、とも思っています。人の気持ちの機微に敏感なのはコーチとしての生き方にも大きな影響を与えてくれているのです。

私は、バスを追いかける人も、その姿を無視する人も、評価判断をしていません。同じ景色でそれぞれが『何かを見ないようにしている』そのことに意識が向くのです。

一体、私たちはそれぞれ、何を見ないようにしているのでしょうか。きっとそこに『生きていくうえで大事なもの』のエッセンスがあるように思います。これもまた私の思い込みかしれませんが。

今日の設問

今日の設問はストレートにこちら。

あなたが見て見ぬふりをしているのは何ですか



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