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「作品を創る」ということ。(からっぽ男の憂鬱・2023/03/20)

 今、頭の中がぐちゃぐちゃしている。
 持病への薬が効きすぎていて、土日が潰れてしまった。
 今日は、無理矢理14時半に起きたのだけど、昨日はそれすら出来ず。
 持病が憎い、嗚呼憎いわ。

 さて。
 ちょっと考えていることを、ここに書く、という形で考えてみる。

 今、自分は物書きとしてもう一歩先へ進みたいと思っている。
 その「書くもの」をどうしようか、考えあぐねている。
 まず「小説」「戯曲」「エッセイ」と、どの方向に定めるか、そこから始まる。
 当面の目標は、11月の文学フリマへ出せたら良いな、というものである。
 その前に、売らないで、製本だけして配りたい人に渡す、とも考えている。

 映画監督の岩井俊二氏は代表作『スワロウテイル』を製作する際に、企画書の代わりに小説を書くことにしていると、小説本の中で告白している。
 それにヒントを得て、小説と戯曲(ないしシナリオ)を共作してみようかな、とも思っている。
 どっちを先にするかはわからないけど、原作と戯曲、もしくは原作戯曲とノベライズのカップリングは面白いんじゃなかろうかと、ちょっと独創的かななどと思う。
 誰かやってたら、ごめんなさい。

 小説を先に書けば、小説をどう絞っていくかの勉強になるだろう。
 戯曲が先にあるのなら、出来上がっている設計図をどう具体的に展開させるか、脳内シアターに移しやすくするかの勉強になると思う。

 どっちにしろ、「早う書けや」なのだけれど。

 書くものの中身についても、色々と逡巡している。
 ラノベは苦手なので、そっち方向には行かない。
 ミステリーは本格ものが好きだけど、「好き」であって「書きたい」と思ってない。本格ミステリーは考える思考を持ち合わせていないと思う。
 エンタメ小説の知識は明るくないけど、あんまり明るい奉公に持って行くには、俺の今の嗜好は暗いと思う。

 取捨選択していくと、自ずと「純文学」というヤツになると思う。
 ただし、「私的小説」を書きたいと思っているけど、「私小説」にはならないと思う。
 「私小説」の方は、自伝的エッセイを書いているので、それでいいかな、と。
 自伝的エッセイの、俺のマガジン「吉井和哉についての二、三の事柄」シリーズが、大変中途半端なところで止まっている。
 加筆修正を加えて、新たに出発しようと思う。

 俺の周辺では、一時期「ヒリヒリする」芝居が多く上演されて、観劇に行き、それはそれで良かったのだけど、今は俺はそれを求めていないな。
 今書きたいのは、まだ未見だから何とも言えないけど、スピルバーグの新作「フェイブルマンズ」が近いのではないか、と思っている。
 憧れている作家はカート・ヴォネガットとジョン・アーヴィング、ドストエフスキーにケラリーノ・サンドロヴィッチなので、自伝要素・「強い」物語・長くて面白いもの、になるだろう。

 ああ、考えながら書いたらスッキリした。
 あしたから頑張ろっと。

 まずは読んでいない、俺の部屋のエベレスト積ん読を片付けねば。
 それと、バインダーノートを片手に、改めて「物語の勉強」をしたい。

 勉強と執筆。
 インプットとアウトプット。
 Re-startしますよ。

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