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外資系転職なら任せろ・5

転職時のエピソードとしては、最後から2回目になります。
今回は、ドイツ車インポーターから米国半導体メーカへ。


クルマが好きだったのでドイツ車インポーターは楽しかった

新しく出来た都内最大級のショールームのプレオープンに行ったり、新車発表会など会社のイベントも総じて楽しめる内容で、クルマにより一層詳しくなったし、カートの腕も磨けたし、レジュメにラグジュアリーブランドを追加出来たのも嬉しかったです。
会社のクルマをアサインしてもらっていたので、何度か高速道路を飛ばして実家へ乗って帰った事もあります。もちろん、サービスエリアでの急速充電と航続距離のデータを録りながら。そして、それらはディーラー担当者達へ個人的な計測値として展開して、セールストークに活用してもらいました。普段忙しい彼らにとても感謝されました。さすがグリンゴだ、と。

この会社も退職する時は、各部門から沢山の人が「送別会するなら是非呼んで欲しい」と声をかけてくれて、結局大きな送別会1回と、個別の会を入れて1週間以上毎日送別会という感じになりました。プレゼントも多数頂きました。ありがたや。

転職しよう、と思った理由

やっぱり、少なくとも年収800万円は欲しかったからです。それから、アメリカ文化の会社に長くいたので、やっぱりドイツ系との違いに対して、心の中でどうにもバイアスがかかってしまう事。その他、ビジネスモデルに自分なりの永続性が見いだせなくなった事などがあります。ディーラーが可愛そうだと感じていました。

もっと言うと、どうしても相容れない同僚がいました。そしてその人は声が大きかったのです。偉そうにされて嫌だなと思う事が何度かありました。同時に、クルマ業界というかインポーターはこういう動きなんだな、よしわかった、という気持ちにもなりました。
ITの歴史約50年に比べて、クルマ業界は倍ぐらいの歴史があるので、動きが遅いことも気になりました。

これらは私の勝手な感想です。新しい業界をのぞいてみたら、こんな感じだったよ〜な自己レポートです。
大切なのは、自分がどう思ったか、そしてどう動いたか、です。これには良いも悪いも無いと思っています。
永続性がないなど、随分偉そうな事を書いていますが、そう思った事が自分の直感で、真実で、偽りのない感想です。これをきちんと認識する事が大切です。

転職へどのようなアクションを取るか?

やっぱりリファーラルが良い、と思いました。
思い返せば、
エージェント→果樹園
リファーラル→お絵かき
  (渡航でキャリア中断)
エージェント→ドイツ車
と進んできています。

次はやっぱりリファーラルにしよう!

ドイツ車にいた時だったか、お絵かきにいた時だったか失念しましたが、新旧果樹園の人たちが集う飲み会に参加した事がありました。随分先輩もおられました。既にその時には、OBの人たちの数名が私の名前を知ってくれていて、さらに引き立ててくれる人もいました。多くの人と名刺交換をして、沢山話をして、覚えてもらいました。世代的にFacebook全盛だったので(少し上の方々)、失礼のない程度にフレンドリクエストをして、定期的にチェックし、Likeやコメントをしてリレーションシップのメインテインを意識的に行っていました。

元果樹園OBの中で、IT系メーカの販売支援の会社を興している人がいました。その方へ、転職を検討している旨を相談しました。
すると・・・、同じく元果樹園の人の下のポジションが空いていて、あなたのキャリアであればいけるのではないか、と。年収も相当ネゴシエーション出来ると思う、とのお話でした。
であれば是非、お絵かきの頃の最高値、年収850万円に戻したいと思いました。

会社を興した人をAさん、現・半導体メーカの人をBさんとします。
AさんがまずBさんに私のレジュメを送ってくれて、JD(ジョブディスクリプション)の内容を鑑みて、一緒に寄せて行きます。この寄せ方、膨らませ方は、嘘を書くのではなく、自分の経歴で成し得た事の表記する順番を変える程度です。目に留まりやすいように。そして、満額(850万円)獲得の為の算段を一緒に考えてくれました。
ここには、Aさんと共同起業したCさんも話に加わってくださいました。
日本のBU(ビジネスユニット)のトップを口説き落とす為に、マーケットの熟知と、入ってからこのアクションプランをおこしますという内容のプレゼンを作りました。そしてCさんに添削をしてもらいました。
全て英語で作った為、カンペも並行して作成します。

インタビューに向けて、全部で8枚のスライドを作成しました。

リテールビジネスについてもカバーする領域のロールでしたので、実際に売り場へ見に行って、どのフロアではどういう展開をしている、これをもっとこうしたら良い、という提案も含めました。
こんなに細かく見ているのか、と思ってもらえる為に、この売場には◯◯があったが、別の売り場には◯◯がなかった、すぐ補充したほうが良いとか、
□□のポップについてはこういう切り口の物を増やして、△△と連携してマーケティング・ミックスで魅せる手法をとれば、効果の計測も出来てしかも売上のマキシマイズが出来るという、別の切り口の提案も含めました。

インタビューは全4回。

HR、HRの上、セールスなどを経て、同じチームとして動く予定の人たちに向けてプレゼンを打ち立てます。
英語がわからない方もおられるとの事で、その場で日本語で行う事に決まりました。(正直、安堵しました)
もちろん英語で質問を受ける事もあります。
脇と額に大汗を書きながら、なんとか1時間半のインタビューを終えました。
インタビューでは、最終的に10名以上の方がオーディエンスとして入室されました。当時はコロナ禍前だったので、大会議室で私が登壇しているような格好でした。

リファーラルである事を知っている人、かつ元果樹園の方がもう一人おられ、その方々は大変好意的な質問をあえて出してくださった事を覚えています。その後1週間ほど経って、

希望通りのオファーレターを頂く事ができました。

2 年のブランクがあっても、元の年収に戻すことは出来るのです。

ちなみに、ここに至るまでには、上司になる予定のBさんのご尽力がありました。外資であっても、キャリアブレイクは多くの場合元通りの年収を期待するのは難しい事が多いと思います。
国際的なボランティアやMBA取得は除きます。

今回はこんな感じです。
晴れて、マーケティングスペシャリストのポジションを獲得しました。

この会社では、年に1回ラスベガスでワールドワイドの集まりがあり、普段WebEXでテレカンやメールのみでやり取りする他国のカウンターパートと実際に会う機会がありました。パーティーや、ジャパンナイト、皆で抜け出してショーを観に行ったり、とても楽しかったです。

しかし仕事がどんどん忙しくなり、2年を越えた頃には、残業時間100時間を超える月もありました。

実際、一般的に過労死ラインと言われている80時間を越えてくると、大好きな音楽を聞いても身体に入ってこない、本を呼んでも字面を追っているだけ、みたいな状態になります。笑

あまり根を詰めない方が良いですよね。それこそ、サステナブルではない環境です。
もうだめかも、となる前に、近くの人に相談して業務量の調整など負担軽減を図った方が良いと思います。これはマジで。


次回の外資系転職なら任せろ・6では、今月(2023年8月)から務めることになった会社への道についてと、前段として個人事業主をしながらMBAを取得した事について記載する予定です。


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