腹式呼吸と胸式呼吸の誤解

腹式呼吸と言えば,声楽や管楽器などで呼吸法の基礎としてよく教わる.腹式呼吸のお手本としてお腹を凹ませるなど,横隔膜はすごいなどの印象を植え付けられる.

しかしながら,実際のところ自然に呼吸する上で横隔膜が自動的に肺を換気しなければ呼吸困難で死んでしまう.人間は身体動作として横隔膜を自由自在に使えるようになっている.

身体動作はどういうわけか宗教になりやすい.高岡英夫やアレクサンダー・テクニークなど,宗教臭い身体動作は山ほど存在する.腹式呼吸も民間伝承の一つだと考えられる.

腹式呼吸の説明

腹式呼吸とは,お腹の空間を利用して呼吸する方法と説明されている.腹筋を使って呼吸する,睡眠時は腹式呼吸だ,などと喧伝されている.横隔膜を下げるとき,お腹側に横隔膜を下げると腹筋を使えるから良いなど,腹式呼吸のやり方などが色々と説明されている.

腹式呼吸は腹筋を使ってお腹を凹ます,横隔膜を下げる,丹田を意識する,などなどの方法が存在するが,腹式呼吸を意図的にわかりやすく実践する方法がある.

まず,限界まで息を吐く.息を吐いたら口を閉じて気道を舌で塞ぐ.完全に息が止まるので,そこで無理やり息を吸う.すると,お腹が凹む具合がわかると思う.

呼吸の中で腹式呼吸を取り入れようとすると腹筋などを使うことになるが,この方法を使うと腹筋を緩めた状態で腹式呼吸を体験できる.息を塞いでいるので呼吸できないが…….

この状態で腹筋に力を入れると,さらに腹式呼吸らしくなる.横隔膜の動きがいいと,お腹がとても凹む.修行をすると,横隔膜の運動神経が発達するのでお腹をより凹ませることができる.

横隔膜の仕組み

横隔膜は筋肉の一つで不随意筋(意識して動かせない筋肉)の一つである.横隔膜は一番下の肋骨の下あたりにあるとよく説明される.しかしながら,実際には横隔膜はそれより奥に存在するので,仮にお腹を凹ましたとしても触ることができない.凹ませただけ横隔膜は遠ざかっている.

横隔膜は肺を換気するためのポンプの役割を担っている.しかも,筋肉の中でもかなり強い.なぜならば,横隔膜は心筋と同じで,停止すると死ぬ筋肉になる.だから,不随意筋として意識せずとも本能的に動かせるようになっている.

横隔膜は比較的,コントロールしやすい不随意筋になる.筋出力はコントロールできないが,呼吸は息が苦しくなれば勝手にやる.凄まじい運動をすれば勝手に呼吸が速くなる.わざと呼吸を止めようと思うと酸欠になるので,先に脳みそが音を上げて呼吸が速くなる.

横隔膜は息を吐くと上がり,息を吸うと下がる.肺が膨らむと下がり,肺が萎むと上がる.肺が縮んでいるとき,横隔膜を下げるとポンプの役割として肺に空気が満たされる.

横隔膜は腹と肺を隔てている.横隔膜が上がる,すなわち息を吐くと腹が凹む.これは,腹腔の体積を一定にする働きがある.逆に,息を吸うと横隔膜が下がると下がっただけ腹の体積が減ろうとする.体積を一定にするには腹を膨らませればいい.

このようにして,実際の腹式呼吸は成り立っている.

肋骨の仕組み

胸式呼吸が邪悪だとされる所以は,肋骨が全く動かない鳥かごのような檻としてイメージされるせいにある.もし,肋骨が檻のようなものであれば,蹴りを喰らえばか細い肋骨はいとも簡単に折れてしまう.なんのためにあるのだろう.

肋骨は背骨から生えているように思われている.実際には,肋骨はどこの骨ともくっついていない.骨盤も実は浮いている.体を支える重要な部分は,浮かせるように進化している.

背骨と肋骨は靭帯によって繋がっている.靭帯は強い紐のようなもので,肋骨と背骨はたくさんの紐で繋がっている.靭帯は一本の糸というわけではなく,たくさんの紐の集まりのようなものだ.肋骨と背骨をつなぐ靭帯は支えるためではなく,呼吸をスムーズに行うために存在している.

では,背骨と肋骨がちゃんと繋がっていないのならば,どこが支えているのか,という疑問が残る.実は,肋骨を支えているのが胸骨になる.胸の中心にある骨が支えている.

具体的にどのように支えているかと言うと,肋骨と胸骨はコラーゲンによって支えられている.コラーゲンと言うと語弊があるので軟骨だ.肋骨,軟骨,胸骨の順番で接続されている.この軟骨があるおかげで肺が膨らんだり,しぼんだりできる.

軟骨は伸び縮みする.軟骨がまるで岩のようになってしまうと,肺や腹の圧力を横隔膜で調整できなくなるので,かなり重要な骨格とも言える.もし,軟骨がただの関節であれば,肋骨は動かすことができない.

ここで話をまとめると,肋骨は背骨側で胸郭の開閉動作,胸骨側で伸縮動作を行っている.この機能があるおかげで人間は美味しい空気を吸える.

一つの実験として,無理やり胸郭にコルセットを巻くと,とても呼吸がしにくくなる.コルセットを巻けば,少なくとも肋骨の動きが制限される.

一般論としての腹式呼吸の間違い

一般論の腹式呼吸として,胸郭に肺が入っていて,その中で伸び縮みしている.これは明らかな間違いになる.

肺と胸郭は連動して動いている.その証拠として,コルセットの実験が挙げられる.腹式呼吸だけではとても呼吸にならない.

また,胸式呼吸は胸郭のスペースが足りないので腹式呼吸をするべきだ,という説明も誤りになる.肺と胸郭の間にはあまりスペースがないのは事実であるが,スペースは一定に保たれているので足りなくなることはない.

腹式呼吸で横隔膜を使うというのも疑問が残る.胸式呼吸でも横隔膜は使う.

間違いを指摘するときりがない.

一般論としての腹式呼吸との付き合い方

一般論としての腹式呼吸は誤解だらけ間違いだらけと指摘するのは簡単だ.しかし,腹式呼吸は長年積み重ねられた呼吸法になる.歴史に名前を残す,ということは進化論的に優れていると言えなくはないので蔑ろにはできない.

例えば,腹式呼吸で腹を凹ませる,という考え方の裏側には腹圧をコントロールできるようにしよう,という考え方もあるかもしれない.つまるところ,身体動作と言語の間で誤った翻訳が流布されている可能性を考慮しなければならない.

翻訳が誤っているからと言って劣っているとは結論付けられない.なので,あれこれ指摘するより,誤っていることを言っているかもしれないが,ここは一度立ち止まって解剖学的にどのような意図の動作を行いたかったのか,あるいは何に注目しようとしているのか傾注するする必要がある.

アレクサンダー・テクニークやゆる体操など,様々な宗教的な身体動作論が存在するが,誤っていることを指摘するばかりで,主観論を客観論として捉え直す試みがない.客観的に間違ったことを言っていても,主観的により良い動作を排除しきれないのであれば,より適切な言語によって置き換えるほうが建設的と考えられる.


普段は研究していて生活が厳しいのでサポートしてくれる方がいるととても嬉しいです.生活的な余裕が出ると神が僕の脳に落書きを残してくれるようになります.