ノベルゲームとRPGの小説的類似性

ノベルゲームの歴史は古く,古くはアドベンチャーゲームと呼ばれていた.アドベンチャーゲームとは,プレイヤーに選択肢を提示し,その選択によってシナリオが分岐するゲームである.プレイヤーとゲームの間で対話状態が提示され,ゲームが簡単になるとシナリオしか提示されないゲームとなる.そこから派生してノベルゲームが生まれた.さらに細かい分類として,ノベルゲームにキャラクターの音声が吹き込まれるようになり,サウンドノベルという形態が誕生した.これにより,電子書籍の特典として声優がセリフを読み上げる小説も存在している.現在では,アドベンチャーゲームという呼称は廃れており,サウンドノベルやノベルゲームなどの呼称が一般的になりつつある.

アドベンチャーゲームは,恋愛シミュレーションゲームとして1980年代から1990年代初頭まで一部のマニアックなユーザがプレイしていた.これは,当時のコンピュータがまだ高価であり,なおかつプレイヤーはコンピュータスキルにある程度は精通している必要があったためである.この頃の記録媒体はCDやDVDなどではなくフロッピーディスクであり,場面に応じてフロッピーディスクを切り替えることもあった.CDになったとしてもファイナルファンタジーなどの超大作はCDを入れ替えて場面転換をすることが往々にしてあった.

恋愛シミュレーションゲームは,要するにエロゲへと発展していった.同級生シリーズは地点や財布などの概念が存在し,選んだ地点と財布の残り,そして各キャラクターの好感度でシナリオが分岐する仕組みになっている.1990年代後半でToHeartが登場し,場面や財布に関わらず,キャラクターとの好感度に応じてシナリオが分岐するような簡素な仕組みでもヒットすることが証明された.それまでは,恋愛シミュレーションゲームとはより分岐が複雑でシナリオが大量に用意されていればよいという風潮があり,ToHeartはそれに一石を投じた形になる.

やがて,ひぐらしのなく頃にが登場する.通称ひぐらしは,2002年に発売を開始し,謎解き編と回答編の2部構成となっている.さらに各部で並行世界が描かれることで,雛見沢村という架空の村落の全貌と,悲劇への脱出を描いている.ひぐらしは,通称一本道ゲームと呼ばれていた.それまでのエロゲシーンでは分岐は最低限用意するものであり,好感度などのパラメータは必須と考えられていた.しかし,ひぐらしはユーザに謎解きをさせることで,今後の展開を期待させるような戦略でゲームの内容を並行世界ごとに小分けして販売する手法で爆発的なヒットを生んだ.ひぐらしは,これまで分岐だけというゲーム体験に対して,ユーザがそのゲーム内容を自由に想像し,考察する機会を与えることで,一本道ゲームの優位性を示したのである.

日本では旧スクウェアが壮大な物語をベースとしたRPGを開発している.ファイナルファンタジーシリーズは,圧倒的なシナリオの物量をゲーム内でぶつけることと,植松伸夫が作曲したテーマソングや背景音楽などをその時々で流すことで,キャラクターが演じる場面の印象を最大化した.ユーザ体験のうちにBGMが含まれていることを示唆している作品である.

 ファイナルファンタジーは主人公がいない作品で有名である.プレイヤーは神の視点でゲームをプレイしている.一方で,ドラゴンクエストシリーズや聖剣伝説シリーズは主人公とプレイヤーが一体化して物語が進行する.RPGの中でもその形態によってジャンルが微妙に異なる.

 本論となるノベルゲームとRPGの類似性についてであるが,結論から先に述べると,系統樹としてRPGもノベルゲームも小説をベースとしている.
例えば,RPGで何かイベントが発生すればキャラクター同士で対話が行われる.これは別段ノベルゲームに限った話ではない.また,RPGで壮大な3DCGグラフィクスとともにイベントが展開されるケースもあるが,これも結局はノベルゲームをより複雑化しただけに過ぎない.分岐の有無についても従来のアドベンチャーゲームを踏襲しており,ファイナルファンタジーはより強くなるために歩数やレベルなどの概念が入り込んでいる.「キャラクターの歩数がトンベリの攻撃力に依存する」ということも,「恋愛シミュレーションゲームで財布と好感度でキャラクターを攻略できるかどうか」は,舞台装置として共通した命題であると言える.アドベンチャーゲームやRPGは系統樹として根は同じであることを示している.

もう少し深堀りすると,RPGのイベントに必要な舞台装置とは,背景,キャラクター,音楽,そしてシナリオである.アドベンチャーゲームのイベントに必要な舞台装置とは,やはり背景,キャラクター,音楽,そしてシナリオである.抽象的に俯瞰して見ると,アドベンチャーゲームもRPGも舞台装置は同じなのである.

RPGでは分岐するかどうか,が重要な議論になる場合がある.ただ,分岐した先が些末な問題であれば,ほとんどノベルゲームに近い形態となる.近年のFate Grand/Orderは,選択肢は提示されるもののほとんどその結末に変化がない.基本的に決められたシナリオがあり,微妙に一部のセリフが分岐するだけである.つまり,ゲームオーバーが存在しない.ファイナルファンタジーやドラゴンクエストなどでは,詰みと呼ばれるゲーム進行不可な状況が極稀に発生する.これもいわばゲームオーバーの一種である.アドベンチャーゲームでも詰みは存在し,全くキャラクターの琴線に触れないと,佐藤雅史とトゥルーエンドを迎えることとなる.これは,キャラクターの特別な分岐を再現しようとしたとき,失敗するとなぜか男同士で仲良くなって終わるという悪夢のような詰みの状況である.昨今のRPGでは,詰みの状況はなるべく発生させない方向性に発展している.少なくとも,ラスボスを攻略するのは容易であり,その先のおまけに重点が置かれる.これは,アドベンチャーゲームでも見られる現象であった.ただし,バッドエンドはバッドエンドで面白い工夫がなされている.

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