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「やめることリスト」

新年の目標を書くのが大好きな方いませんか。
私です!
巷間には、願望を叶えるためのさまざまなhow toがあふれていて、他力本願だけれどそのどれもが、それさえやれば本当に願いが叶ってしまいそうな不思議な引力があります。

ピラミッドの頂点に本当の望みをかき、ぼんやりとしたあなたの願望を、ブラッシュアップ!
メモリーツリーで、自分の願望を整理しよう。
人生で叶えたいこと100のリスト!
新しい「引き寄せ専用の手帳」を買って、今度こそあなたも引き寄せ!

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まあ、私も、一通りのやり方に引っかかってはつまらぬ浪費をしてきました。
先日の春分の日、今日は宇宙元旦なんて言われると、すかさずITOYAにキラキラしたノートを買いにダッシュしてしまいそうでしたが、今年はなんとか踏みとどまりました。少しは成長したな。


引き寄せでよく言われるのは、紙に望みを描いてしまっておくと、時間が経って読み返した時に、笑ってしまうくらい全てが叶っていますよ!というもの。。。
これ、実は本当なんです。ただ。。。
先日、こんなものを書いたのですが。

その際、過去の日記やメモ、自分の思いを綴った大量の紙を燃やしました。

確かに今まで、紙に書き出したいくつかのびっくりするような願望を、私は叶えたことがあります。
しかしそこに残った願望の大半は、叶わないまま。
渦巻く邪念は、あえなく灰となりました。

バシャールがどこかで、こんなことを言っていました。
「今、あなたのうちに思い浮かんだ願いが、ハイヤーセルフ(真の自分)の願いと一致してることはまずありません」
それを聞いて、
んな馬鹿な、私がどれだけ本気で車が欲しいか、あなたにはわかんないんですよ!と思っていました。

しかし読み返すと、今ならそれが、確かに自分の本当の望みとはズレていたことがわかります。
子供の将来のことまで、こうなっていて欲しい、こんな学校に行っていて欲しい、だのと勝手なこと書いてる。
もう恥ずかしくて叫びそう。
どんなに腹を痛めて産もうが、どんなに苦労して養育しようが、子供の人生は本人のもの。
親が自分のアクセサリーを身につけるように、理想の人物を勝手にイメージして、勝手にそれを決めていい道理など、ありません。

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春分の日の朝、ヨガの先生がちょうどこんなことを言った。
今日から新しい一年。ヨガを終えたらぜひみなさん、これからやめることをリストにしてみましょう
え、やめること?
これから頑張りたいこととか、次の目標、ではなくて?(私が大得意なやつ)
参加していた方は、次々に自分がやめることをあげていきますが、私は言葉に詰まって一つも出てこない。きっと、日頃から自分を大切にしている人は、何をやめようかすぐに思いつくのだろうと思います。

考えてみれば、イライラしている時つい暴飲暴食してしまう。
そして後から内臓のもたれを感じて、別の種類のイライラに襲われる。
不安になると、つい買い物してしまう。
だけどお金はないから、本当に欲しいものには手が届かず、それにそっくりな安いものを買ってごまかす。
そして後日、私が本当に欲しかったものを持っている人を見つけて、劣等感と嫉妬で悶絶する。
こんな抜け出せないトンネルを、ずっとループしてきました。

もしかして、私は足し算ばっかりしてて、引き算めちゃくちゃ、苦手なのかも。
だから断捨離が進まなかったのか。



そして東京の桜もいよいよ満開となった本日、ようやく私の「やめること」が一つ見つかりました。(暴飲暴食と買い物はやめない)
それは、「大丈夫」をやめること。

私の「大丈夫です」には、明らかに怨念が詰まっている。
本当は大丈夫じゃないに決まってる、わかってるでしょ知ってるでしょ、わかってよ、察してよ」というそれです。
アダルトチルドレンの人は、子供の頃から「察する」を当たり前に強要され、
先回りして成功すれば褒められ、失敗すればひどい目にあう、という緊張感の中で生きて来ています。
それは大人になって親元を離れようが、厳しいことを言ってしまえば、その親が他界しようが変わらない。

心が健康な人なら、大丈夫じゃないときに「大丈夫です」とは言いません。
ニッコリ笑って、「いや、ムリですね」「やめてください」と言えるのです。
それは、正当な自己愛自己犠牲に陶酔することと、どちらを選ぶのかという選択でもあります。



スピリチュアルヒーラーのMOMOYOさんのyoutubeから。空気会話をやめてみよう。

「察してよ」「察するのが当たり前」これを前提にしたコミュニケーションをやめて、お互いちゃんと、言葉でコミュニケーションを取ろう、というお話。

この動画に対してコメント欄に、「空気を読む」「人の心を慮る」は日本人の美徳だ、という反論が結構ありました。
「空気読めよ」という同調圧力はけっこう日本では当たり前であり、
海外の人にとっては、なぜ言語化してくれないの?なんで思っていることをはっきり言ってくれないの?
というモヤモヤを感じるというのはよく聞く話です。

私は日本という国は、実はアダルトチルドレン大国であろうと思っています。
なまじっか、みんなが空気を読むことに長けてしまった民族ゆえに、それを隠れ蓑にしてはびこってしまった。
この「空気を読むことが素晴らしい」という古今東西津々浦々に浸透した風潮こそが、日本がアダルトチルドレン大国であることを証明している気がします。
しかし、文化、民族の特性としての「人のことを慮ることができる」ことと、アダルトチルドレンの不健康な心が発する「空気読めよ」というオラオラした雰囲気は明確に区別すべきです。


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そしてこれからの新時代、これは確実に一人一人にもれなく立ちはだかってくる問題の一つとなる、と感じています。

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「大丈夫」をやめる。
これは結局、常に常に己の心に対して注意深く、逐一「大丈夫ですか?」と確認するということでもあります。
自分に丁寧にする。自分を大切にする。
わかっているけど、常に実践しようとすると、これがなかなか難しい。

「大丈夫」というキーワードを中心において、またやっていないか、また自分を蔑ろにしていないか。しばらくこれで、やってみたいと思います。


皆さんもぜひ、「やめることリスト」書いてみてください。

ムズカシイですよ。

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