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何かへ依存せずに生きていける気がしない

さて、依存症に関する書籍(詳細はこちらの記事にて)を読んで「なんだか依存症を克服できる気がする!」と率直に感じられた私ですが、それでも「今この瞬間からやめてしまおう」とはなりませんでした。あくまで克服できるのは「いつか」、少なくとも今日明日ではない…という感覚がありました。

これまでの私なら無視してその後の日々を送っていましたが、せっかくnoteを始めたので読書前後の心境の変化について今日は書きます。

まず第一に、書籍を購入した当初から強く感じていたのは「早く依存症を克服したい」。一刻も早く、とダウンロードした電子書籍をすぐに開いて読み始めたものでした。

読んでいる途中では依存症克服への希望が湧いてきて「よし、この本を読み終えたら始めよう」。読んだところから取り掛かってもいいくらいに気が急いでいましたが、著者の主張(メソッド)を全て把握せずして、中途半端に始めてしまうと良くないような気がしました。

そして読了後。これですぐにでも取りかかることができる!と、最終章に入るにつれてページをめくる勢いも加速していましたが、いざ読み終えてみると「一度しっかり内容を反芻してから、始めようかな」……購入時、読み始め、そして読んでいる途中のやる気はどこへやら、ここにきて後回し癖が顔を出したのです。

なんでも後回しにしてしまうのは、私の悪い癖だから……と片付けるにはあまりにも重大な事態。依存症の克服には今後の人生がかかっているといっても過言ではないのです。「これでやっと、今までの辛い生活から抜けることができる!」と信じて疑わなかった私は、いったいどこへ潜んでしまったのでしょう。

このことは実は、今回読んだ書籍でも触れられていたことでした。

罠その28 依存対象と縁を切ると、悲惨な毎日が待っていると考える

磯村毅『二重洗脳』【STEP4のまとめ】より引用)

ただ、この文章を初めて読んだとき、「悲惨な毎日」ってなんだろう?と疑問に感じたことも確かです。依存状態にあることが最も悲惨な生活なのに、それ以上の何を懸念するというのだろう。私には無関係な「罠」だな……と、思っては、いたのですが。

私にとっての「悲惨な毎日」は、言い換えると「空虚な毎日」「ストレスの解消ができずに、鬱憤が溜まるばかりの毎日」でした。

私がついスマホを触ってしまう理由。スマホが私の生活で果たしている役割は「非日常の刺激」「ストレスの解消手段」だったのです。(←よくよく分析すると、この役割は依存症による思い込みで事実ではないよ、と本書では触れられているのですが…)ご多分にもれず、罠その28に私もかかっていたのでした。

そこそこの都市部でそこまで優秀ではない専業主婦として生活していて、家の中で子育てもしていて、更にはこのコロナ禍で。外部との接触が一切ない、家族としか会話をしない生活って毎日が単調でストレス発散の場もありません。そこに風穴を開けてくれる存在が、私にとってはスマホでした。小さな画面の向こうには、物理的に離れられない家庭から離れたあらゆる世界が広がっている。些細な愚痴でも書けるし聞いてもらえるSNSがある。限界のある生活でも豊かに過ごせる知恵が詰まっている。現実から逃避するために、そして現実へ立ち向かうためにも使っていたスマホ。(←実はこの思考にも依存症の罠が多く潜んでいるのですが、あえてここでは解説せずに、あくまで主観的な部分を記録します。)

もし、もし、依存症を克服するために「風穴」を塞いでしまったら、私の生活は一体どうなってしまうんだろう。

……きっと私は、また新たな「風穴」を探して、再び依存してしまうと思うのです。

だって、これまでの人生がそうだったから。いつだって何かに依存してここまで来たので、急に「依存してはいけない」と禁止令が出ると、回り回って自分のためになることが頭では理解できたとしても、心が追いついてこないのでした。

このような心の動きが無意識下にあって、いつの間にか依存症克服への思いが弱腰になり、後回し癖が出てきたのです。

自分でも「なぜだろう?」と書き出してみると、意識的なところから捉えることができて整理がつくものですね。「あっ、これが罠か」と……

それが「心の罠」である以上、当の本人はそれに気づいているとは限りません。むしろほとんどの人が、まったく気づいていない。
その無自覚であることが、同じ失敗を繰り返す大きな原因にもなっている。

(磯村毅『二重洗脳』【はじめに】より引用)

書籍の冒頭に書いてあったことを、まざまざと実感しました。いくら一度読んだからといって、そう易々とは身につかないものなんですね。当然といえば当然ですが…

新しい刺激は好きだけど、慣れたものだと物足りない。性格なのか依存症なのか分かりませんが、この特性があるから、普段あまり同じ本は二度読まないのですが……今回はしっかり腰を据えて、読み直そうと思います。きっと止めようとして苦しむことも「読みがい」の一つになるだろうから、苦しさもあえて目をそらさずに、できることから実践しつつ。

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