依存症と生活との狭間で。消えた記事に思うこと

昨夜寝る前のスマホ断ちは、結果として失敗に終わりました。

もしも同じ状況が今夜も訪れようものなら、潔く寝るか、noteに避難してこようと思います。

前記事にこう書いた通り「noteに避難」の実行もしたんです。これまでの記録とはまた違う、体験の想起記事へ取り掛かりました。いい感じに進みつつも長くなったので休憩を挟むことにして、「ふと」スマホを手に取ったのが運の尽き…… 「ふと」開いてしまったツイッターで気になるトピックを見つけてしまって、結局夜の時間いっぱいに情報を追ってしまったのでした。

←これまでの記録ではここまでに留めてきましたが、今回は自省のためにも詳細まで記しておこうと思います。

気になるトピックとは… cakes連載『幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。』の最新記事として掲載された『大袈裟もウソも信用を失うから結果として損するよ』にまつわるあれこれ。現在当該記事は削除されており、リンク先はcakes編集部のお詫び文に差し替えられています。

こちらの文章には「削除いたしました」「傷つけてしまいました」「問題を助長してしまいました」「反省しております」「心よりお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」「誤解させてしまった」「反省しております」「見直してまいります」…といったお詫びの語句が並んでいますが、肝心の削除に至った経緯については伏せられています。公開した記事に対する読者からの反響をふまえて削除を決定したかのような構成になっていますが、当該記事の著者・幡野広志さんのツイートによるとどうもそうではないようです。

読者からのお悩み相談に幡野さんが答える形式で進んできたこちらの連載。今回の記事が(幡野さんのあまりに突飛な回答によって)広く世間に認知されたことにより、相談を送ったご本人から該当記事の削除を求められたそうです。

(伝聞ながら)ご本人のご希望を尊重して、本投稿でも具体的な相談内容については触れないことにします。

上記「あまりに突飛な回答」とは、どのようなものだったのかというと。

夫婦関係で悩みのある若い女性の相談者さん。夫のストレスが自分に向けられて、身体的にも精神的にも苦しい生活を強いられていること。離婚の選択肢が脳裏に浮かんでも、周囲の励ましや子どもの存在があって踏み切れない。どうにか再構築の目処が立ってきた矢先、ある事件が起こる。事件によって明るみに出る夫の裏切り。これまでは耐えられたこともいよいよ無理になってしまってもう限界。だけど父親を慕う子どもを思うと、迷ってしまう。まとまらないけれど、何かアドバイスが欲しい。……といった相談内容でした。これに対する第一声が、

あなたの話だけ聞けば、【※相談内容に関する部分のため引用を一部省略します※】かなり問題があるけど、正直なところぼくはあなたの話を話半分どころか話8分の1ぐらいで聞いています。眉毛は唾で濡れています、ウソだけど。

んっ、「ウソ」…? 早くもタイトル『大袈裟もウソも信用を失うから結果として損するよ』の伏線回収? 早過ぎない??

そこから流れるように「相談者さんの相談内容がいかに信用できないか」「ぼくが怪しいとおもう根拠」が綴られます。(ここで引き合いに出される根拠も、しっかりと相談文に目を通せば到底言えないことなのですが… 本筋とは外れるので割愛します。)そうして無料公開部分の最後は、このように締められたわけです。

きっとそういうことではなく、それぐらいの感じで……ってことなんだろうけど、そういうことは第三者に相談するときにしてはいけません。だから先に書いておくけど、あなたからの相談には答えることはできません。ぼくだろうが警察官だろうが、弁護士だろうが裁判官だろうが、大袈裟にいったらダメだよ。まぁ警察官も弁護士も裁判官もみんなすぐにあなたのことを見抜くとおもうけど。

ちなみに「警察官」も「弁護士」も「裁判官」も、相談者さんの文章には一切入っていないものです。先回りして可能性の道を塞いでいくなんてキツすぎる… そしてどうして、こんなにも追い詰められている相談者さんに「行政」や「心理カウンセラー」の選択肢を提示しないんだろう? 平凡な市民として謎は深まるばかりですが、公開直後には「さすが幡野さん!」「サイコー!」とこの回答を絶賛するツイートが多くありました。

なお、この先に続く有料部分(当初は期間限定の無料記事として全公開)では幡野さんのオリジナル造語「大袈裟ママ」が連呼されます。自分が被害者であることを周囲に認めさせて同情を引くために、相手が加害者でありいかに非道であるか話を盛ってしまうお母さん、大袈裟ママ。このまま大袈裟ママを続けて相談し続けても満たされることはないよ、お子さんが可哀想だよ、もっと自分と向き合って。……

すごくすごい話だな、と正直思いました。なんとかママと命名してあらゆる責任を女性(母親)に擦りつけるところは『あたしおかあさんだから』で有名な絵本作家のぶみさんに酷似していて、女性のありのままの発言を「困ったちゃん」に変換して物申す姿勢は「妊婦様」「うちのママできるかな?BINGO」でかつて話題となったひろさとすたいる氏が連想されます。これ、ツイッターのママ垢でもっとも忌み嫌われる類の回答じゃない…?

まあそんな余談はさておき、私だったら回答を読み終えた瞬間にもしも駅にいたら線路に飛び込んでしまいかねないな、というのが第一の感想です。相談者さんの生存確認はどうにもしようがありませんが、ひとまず幡野さんに連絡があったようで、よかった。(何かが起こってしまった後に「事実」の書かれた記事の存在に気づいて保身に走った誰かによる成りすましでないことを心から祈っています。)

切実な訴えを大袈裟だとかウソだとか断定されたうえで「信用を失うから損するよ」と唆されたら、自分が見ていること聞いていること体験していること、感じていること考えていること、それらを総動員して「助かりたい」と手を伸ばす意志まで、全てが信じられなくなってしまうから。信用を失わないために、損しないために大袈裟やウソをなくそうとすればするほど、自分に対する信頼はごりごりと削られていって、自分以外の他人に認められる「事実」でしか自らの存在を認識できなくなってしまうから。

〜〜〜

長くなったので一旦区切って、次の記事に続きます。


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