見出し画像

頭でっかちになってしまった19歳。人生の価値をどこに見出すかなんて人それぞれ。

「人生を、自分の命を、何に費やそうか。」「今をどう生きようか。」

起業に挑む学生起業家、何かしようとプロジェクトを遂行するすごい学生。

ついこの間まで自分も、「周りより頭ひとつ抜けていたい。」そんな想いから色々な大学外の団体へ顔出しをしていた。でも、一年を通し気がついた。自分には、あまり向いていないことに。自分はHSPの気質を持っていることもあるかも知れないが、めちゃくちゃ悲観的というか現実主義だ。何かプロジェクトを考えるにしても実現可能なのか、熟考してしまい、”どうせ”という言葉が出でしまいがちになる。”どうせ”という言葉は自分も嫌いで、ついつい言ってしまった瞬間は何とも言えない気持ちになる。かといって、何でもかんでもやってみればいい!というスタンスに自分がなりたいかというとまた別の話だ。

だから、「困っている人や過去の自分のような人を救いたい」そんな想いを持っている学生が集う場に行ってもなかなかその場を好きになることはできなかった。熱い想いを持った人が集うところにかなりドライなのに突っ込んでいったのは自分なのだけれども。

(そもそも自分には”組織”というものが向いていないし、、笑。)

「自分が経験した苦しみをポジティブなものに転換してプロジェクトに活かしたい。」

「当事者であるからこそ、同じ思いをして苦しんでいる人を救いたい。」

ものすごく尊いことだし、社会に必要な人材だと思った。

しかし私は、自分が経験した辛い過去は必ずしも”プロジェクト”といった形で輝きを増すものではないと思った。自分が生きていく中で出会えた人に自分が経験したことから少しでもプラスなことを伝えることができたなら、その人が私になら話してもいいかも、と話をして楽になれたなら、それだけで私は十分だな、と。

何かアクションを起こそうとしている人たちと一緒にいると、”何かしなければいけない”と追い込まれていた。ついつい、理想を高く持ち、”あるべき姿”を追求してしまっていたけれど、一度立ち止まり冷静に自分の行動を振り返り客観視してみると、地に足がついていないことがすぐにわかる。波に流されていたことも。

「じゃあ、自分は今をどう生きるのか。」

「大学生のうちに何を学ぶのか。」

「自分は何のために大学に通っているのか。」

今までも何度も考えた問いではあったが、今一度考えさせられた。でも、今を生きるとはどういうことなのか、よくわからない。

自炊して家事して大学に行って勉強して友達と話して。”大学の授業で特にこれ学んでます!”と言えるようなものがなくても、側から見たら時間やお金を無駄にしている大学生でも、自分にとって充実はしている。毎日何かと楽しいし(笑)だから他人に何か言われようがあんまり気にしてはいない。でも何かを感じるのは、将来を考えたときに今のこの現状に不十分さを感じてしまうからだ。”不安”がそこにはあるからだ。

組織に属することが向いていない自分はきっと就活にも苦労するだろうと、最近めちゃくちゃ思っている。結局”今”ではなく、”未来”を考えてしまっている。”今”に固執してしまいすぎてもいけないのか、とも思った。でも「そんなに将来を心配する必要はない。今を楽しんで。」という大人も中にはいる。何が何だかよくわからないな(笑)ふつーーーーにのんのんと生きていたいけど、世の中はそんなに甘くないみたいだ。

みんなどうやって生きているんだ?どうやって強みを見つけてこの仕事やりたいってところまで持っていったんだ?インターンでそこまでわかるのか?自分の得意なことなんて自分の目でわかるはずないと思うから、周りに聞けばいいのか?

別に何となくの選択でも、本人が選んだなら周りはあれこれ言う必要はないんじゃないかなーーー

まあ、私は普通の大学生を継続しようかなって思います。

期待されても困ります。www

みんな生きているだけで偉いと思うから、すごい人である必要はないと思うんよ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?