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答えがない世界

前回の記事で、

関東にいる人は頭の回転早い!

という持論を展開しました。



じゃあ、

・・・関西人は?


というのが今日のテーマ。


なお、ここからはエビデンスが主観しかない

持論ワールドを展開します。


ご注意ください。



では本題。


僕は関西と関東では生活感から

頭の使い方が違うんじゃないかと。


そう思うんです。


そもそも、頭の回転ってなんだろう?

って考えたことはありますか?


物理的に頭が扇風機みたいに

回転するわけじゃないです、当然。


一般的には、頭がいい人をさします。
(みんなわかってる。)


昨日も少し触れた

頭の回転の種類が違う。

というのをコミュニケーションの点で言うと


関西人同士の会話では

最小限の語彙力、だけどしっかり成り立つ会話が

流水のごとく、いや・・・


濁流のように流れている。


そう感じます。


英語で言うところの中学英語だけで

日常会話をこなしているような。


冷蔵庫にある食材だけで

人を感動させる料理をつくっているような。



東京のように、

日常で怒涛の情報量、多様性にあふれているわけではない


比べてしまうと少ないリソース、

だけど見渡せばなんかすっごい流れが早い。

そこから好き、オモシロイ、新しいを生み出す。


この循環が独特なのかもしれない。


これはいろんな視点で考えられるからこそ、

簡潔にまとめられないんですが、

あえてコミュニケーションの目的地で言えば、


その場の空気が

「面白くなるか」「盛り上がるか」

に重点をおいて頭を動かしている事が

多い気がしています。


・・・と、

書きながらも実は僕が感じ取ったものを

30%もうまく言葉に落とせていません。


なんなら、自分で書きながら

ちょっと違うかも。

なんて思っています。


ただ、事実として僕は

考え方、価値観や習慣など、

身体で地域差を感じたのは事実です。


大阪に帰ってきて、

ホームグラウンドだからかもしれませんが、

すんごい落ち着いているんです。


だけど、それが許されてしまうこの地域から

一歩飛び出した時に僕は


「ああ、自分は狭いところで安心してたんだ。」

「世界は思った以上に自由な多様性と、寛容さがある。」


そうやってエネルギーを受け取った気がしています。



自分が理解できている自由はとても狭くて、

自分の考えている事はちっぽけで、


だけどその自分の考えは

世の中のわずかなリソースとして

たしかに存在してる。


これでいいし、これを貫いても良い。



やっぱり、外の世界に飛び出すのって、

主観と客観を行き来しやすくて、


すんごい楽しい。

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