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花言葉(2)

 
 雷を伴う強い雨が降る週末のことです。
 どうしても外せない用事で役場に出かけなければいけなかったナージが、夕方になっても帰ってきません。一時間ほどで戻るわと言っていたのに。
 雨の勢いは増すばかり。雷鳴もやむことがありません。どこかに落ちたかのようなものすごい音も、二回ほどありました。
 レスワナは、買い物をして遅くなっているのかもしれないと、窓の外を眺めながら考えましたが、時計の針がいくら進んでも、ナージは帰ってきません。表に出てうろうろと、道の先にナージを見つけようともしましたが、ずぶ濡れの迷い猫が、にゃーんと鳴いているだけです。
 電話が鳴りました。慌てて出ると、相手は警察のひとでした。
 ナージが亡くなった、と、電話の向こうで警察のひとが言いました。
 レスワナは、知らされた並木通りに駆けていきました。青い服を着た救助のひとたちに囲まれ、血の気の引いた真っ白な顔で、いとおしい恋人は横たわっていました。すぐそばには、まっぷたつに折れた大木が荒荒しい割れ目をさらして倒れています。
 救助服の男性の「雷の衝撃で折れた樹の下敷きになって」と話しかける声など耳に入りませんでした。レスワナはナージに取りすがり、うそだ、と繰り返しました。


 ナージのとむらいに、友だちが何人も訪れました。
 ナージとレスワナの友だちのアリリナは、親しくしていたナージの急死を嘆きました。さらに、気落ちのあまりに食事すらできなくなったレスワナを見て、何か口にするようすすめました。
「顔色がわるいわ」
 葬儀のあと、アリリナはしばらくの間、料理を持ってレスワナを訪ねることにしました。彼は少しずつ食事や睡眠をとることができるようになりました。
 でも、レスワナは、ナージのことが忘れられなかったのです。
 しめきったアトリエのすみに、ナージの肖像画が置いてあります。
 絵を見ては、レスワナは涙を流すのでした。自分を心配してくれるアリリナに申し訳ないと思いながらも、ナージの笑顔や声、香りは、忘れるどころか日に日に思い出されて、つらくて涙があふれるのです。


 アリリナは、悲しみに暮れるレスワナを励まそうと、おいしい料理を作ったり、町に誘い出したりしました。
 彼は、にこにこして「おいしい。これは今まで食べたものの中で一番おいしいよ!」と料理をほめちぎります。にこにこして「今日は暑いから外出は今度にしよう」とさりげなく誘いを断るのでした。
 次第に、アリリナの気持ちも沈んでいきました。何をしても、向けられる笑顔はいつも悲しげなのですから。
 

 ある日、レスワナに食事を届けて家に帰る途中、アリリナは彼の家に忘れ物をしたことに気付きました。
「いけない、いけない」
 レスワナの家に引き返し、呼び鈴を鳴らしました。返事はありません。もう一度押してみました。
「へんね。さっきは、いたのに」
 ドアを開けて、「レスワナ?」と見回すと、がたん、と二階で音がしました。
 アリリナは、階段を上がって音のした部屋をのぞきました。アトリエでした。たくさんの絵が部屋中に置いてあります。
 レスワナは部屋の奥にいて、こちらに気付いていないようです。声をかけようとして、アリリナは息をのみました。
 彼の前にあるキャンバス。描かれていたのは、窓際に立ってやさしい瞳でこちらを見つめる女性でした。
 ナージの、肖像画。
 絵の前で涙するレスワナの背中を見て、彼女はそっと立ち去りました。悲しさと苦しさ、どうにもできない気持ちを抱え、泣きながら家へ帰りました。
 以来、アリリナの心から、ナージの肖像画と、涙にむせぶレスワナの姿が離れなくなりました。
 一方、レスワナは、訪れるアリリナの様子が以前と違うのに気付きました。
「アリリナ。どこか具合がわるいの?」
 そのたびに尋ねましたが、アリリナは、
「いいえ。そんなことないわ」
 と、返したあと、胡乱うろんげにまた思いにふけっているのでした。



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