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無理?でも「通訳者になりたい!!!①」

前回書いた案内所は一年で辞めた。県の観光課で働く求人があり、思い切って応募した。内容は県が発信する情報の翻訳等で、以前も同じような仕事を少しだけ経験、きっちり嘱託職員になって働きたい、と思った。

でも、その前の翻訳仕事でご一緒だったTOEIC満点の企業翻訳者が待合室に。転職希望で応募した、と。正直あの時諦めた、絶対敵わへんもん。はい、そしてさっさと落ちて。

無職になった私。うーーん、まぁ仕方ないか・・・。そんなところに、知り合いの英語関連グループから1本の求人メールが。

「企業通訳です、月に数回だけです。場所が少し遠いので、車通勤可の人」と。

怖いわ~、通訳なんてできないのに。でもすごく惹かれた。その場所は実家があった場所の近く、勤務していた中学校の近くだった。道はよく分かる。

月に数回なら、なんとか準備していけるのか、どんなレベルなんだろう。思った時にはその派遣会社にもう電話をしていた。

「とにかく一度OJTに参加してください。4/1から人が欲しいのです。」

その時、もう3月のめっちゃ末だった。取り合えずその会社兼工場へ行くことに。

小柄な、これまでの通訳者だった方が出迎えてくれた。「こんにちは。」と。工場もあるのでその通訳者の方も作業着だった。

第一声に、耳が「へっ?!」となった。

「何年に通訳学校修了されているんですか?某通訳学校ですか?」

へっ?修了??誰? 一度過去にcheck testを受けたが、基礎科の一番下。ちょっと英語できたら誰でも入れる?くらいの。基礎科があって会議通訳本科があるから、もう全然レベルが違う。誰、誰が修了したん?で。

「私学校に入学自体もしていないんですが・・。某学校の修了生でいらっしゃいますか」と私。「はい、~年に卒業で、今そこで講師をしています。」

「・・・・・。」「あ、帰ります、無理です。」

って言えたら良かった。いや、言うべきだった。そんなレベルの高い方の後釜なんて無理だし。本当にあそこでそうしっかり悟るべきだった。でもその方が、3/31までしか契約されておらず、派遣会社もその方も後釜を探すのに必死だった。

「私、某通訳学校の先生の後の仕事なんて、そんなの無理です・・・。」そう言ったのだが、まぁそう言わず見てみましょう、で。派遣の担当の方も包み込むような方で、そうか、そしたらもう少し見ようか・・・で。

小さな会議の通訳だった。あまり詳しくは書けないが(もう契約外だが、守秘義務が強かった名残が・・・)海外の子会社との会議、こちらも3人くらい、向こうは1人か2人。

ただ、アジアのすごい訛り・・・。ひえ~だった。実は私で3人目だった。先の2人が10日前くらいにOJTに参加、皆NOで逃げたらしい。

分かるわ、賢明や、皆賢いわ。なんで私はそのまま話が繋がったんやろ、馬鹿って本当に怖い。

通訳って、横から見てたら、「あ、それくらいなら私も言えそうかな」って思う人もいるんじゃないかと思う、本当に。日本人が日本人の知識で英語を発するから、英語も日本人の英語だから聞こえやすく。

いやいや、ほんまに難しいのはそこじゃないから・・・。聞こえますか?ビジネスで必要な話、一言一句落とさず・・・。そこが一番ネックだから。でもそれができて初めて「通訳者」だから。

あの時、その某通訳学校先生が通訳している横で見せてもらい、所感は私も同じだった。全然聞き取れていないのに、同じくらいなら話せるかも??って。それがどれほど恐ろしい誤解を生んでいたかを、恐ろしいことに私はその後経験してしまう。そう、やります、って返事してしまうのである。

もちろん、私だけじゃなく、派遣担当者、その某学校先生に相当推された。何故かって後釜の人がいないから。「挙手してきたんやから少しはやれるやろ」やったのかも。世の中には私みたいな無謀バカ人間もいるんよな~~。

派遣担当者は何だか割と私を気に入ってくださった。私も案内所の経験で少しはしおらしくなっていたのか。早速数日後に初仕事だった。

担当の部署の主任さんはすごくいいおじさんだった。お世話になったな~。今顔見て謝りたい人ベスト7くらいに入る~。(すみませんーー)

資料は全て社外秘のため、会社に着いてから見ることに。今思ったらそれは相当ブラックな注文。でも事情は分かる。絶対外に出せない。しかしそれはあまりにきつい。通訳は準備できてナンボの仕事だから。11時からの会議に9時入り。2時間で資料を見る。

全部数字、表なのである。過去の生産量との比較のような。無理だった。全く見方が分からん。実はこの仕事は本当は翻訳と通訳でセット。だから前任者は週3は来て、資料の翻訳も。

じゃあ何故私は通訳だけだったかと言うと、先に良い翻訳者が決まった、分野にも精通した人。しかしその方が「死んでも通訳はやらない」と言ったらしい。だが、どちらもやれる人が見つからず。レアケースである。だから月に数回だけ来てくれる、都合の良い、まぁそんなんでいい人材来ないわ、大きな水槽なのに、メダカの稚魚みたいな生まれたて、でも融通の利かないmiddle-aged womanが来てしまったということ。(やっぱおばさんとは書きたくない)

前任者が遠回しに「皆さん忙しいから、タイミング見て分からないとこ質問して」と。え、全部分からんし、何にも分からんし、私この資料でどうするん?で。

なのに、始まってしまった。見かけは黒いパンツスーツに白いインナーカットソー着て通訳者風。文房具や他、らしいものは揃えた。

無いのは一つ、「英語力」。ありえへん。恐ろしすぎる始まりだった。

確か最初の時はインドネシアの販売会社相手だった。まだface-to-faceならマシやったかも。Skype通したらもっと分からん。今まで見たことないような、平たいお饅頭みたいな黒いマイク、あれとスピーカーだけが頼り。

こちらはMAX3人の社員さんだったが、出張でその方らもSkype参加がしょっちゅうだった。一人は必ずそこにいた感じで。その日は紅一点の女性社員だけだった。

始まった。え、、、何にもキャッチできない。うそ、って感じだった。なのに、相手の発言を止めるすべも知らない。もう今思い出しても焦る、何にも聞き取れなくて、頭は超真っ白に・・・。

もうそれは、どんなこれまでの経験より恐ろしかった。生まれて初めてだった、そこから逃げ出したいと思った。

ちょっと落ち着こう、で、仕方ない、頼れるのはその女性社員だけ、「すみません、何も聞き取れません、今これ何の話ですか?」と、もう仕方ない、日本語しかコミュニケーションできないから。(マジか~と書いてて震える)

女性社員、初日だし、優しかった。「今は多分、この辺の話をしてて。~~はどうか、聞いてくれる?」

そう、結局その後3か月だけ勤めさせてもらうが、英語聞くのは社員の方、案外聞かれる。出張でインドネシアも行かれているし、駐在もされていたり。何よりコレやん、コレ、backgroundを知っているから。もう背景知識が全てと言っても過言でない。だってその方らは毎日その部品作って、それが多すぎなのか少なすぎなのか、海外市場でどれくらいのニーズがあるのか、それこそ真剣勝負で戦っているんやもん、そりゃめっちゃくちゃ詳しい。

ただ、それを英語で発されるスキルが少し乏しい(私のこのケースの場合は)、だから通訳者を雇う。話せる社員さんがいたら通訳者なんて必要ないが、おそらくそうでない社員さんもいるから社内TOEIC研修等の求人もよく見かける。

私の場合のこの仕事は、だからまだ採用されたのかも知れない。でも「聞こえなければ」絶対通訳なんてできない。聞こえるから返せる。それも正直、完璧に聞こえないと、特にビジネスシーンではアウト。

途中から、Skypeの向こうのインドネシアの方に、「Yes,No」でしか答えられないよう質問した。何とかこちらの聞きたいことの解答はそれで得られた。5W1Hなんかで聞いたら、ダメ。だってその答えが聞き取れない。YesかNoなら分かる。でもそんなん通訳者じゃない、言うまでも無く。

終わってよく車に乗って家に帰れたな、思う。震えながら帰って、寝込んだ。

会議のまとめの資料を作る仕事は私の職務には入っていなかった。前任者は翻訳もされていたからまとめ資料は作られていた。その日だけ懺悔も込めて作った。通訳なんてものじゃ全くなかったが、まとめを作ったのは喜ばれた。

その後は主任から「職務に無いからいいよ」って言われたが、そこは社員さん同士で少し揉めておられた。もし私があのままやっていたら、今もこの仕事を続けられていたのか・・・って思わなくもない。(そこは文面に表しきれないニュアンスなのだが)絶対私がやったらあかんというものでも無かった。

正直時間が戻るなら、その資料を作っていいから、もう一度チャンスが欲しい・・・。

初日の次の日、派遣担当者から電話が。絶対「辞めてください」の電話と思った。

「え、何も先方様から連絡無いですよ、もう少し頑張ってみませんか。期待していますよ。」と。え・・・、どこを期待??

後で新しく変わった担当者に聞いた。「~~さんは、何とかしよう、って考えれる力がある、引っ張ってあげて。」と。(前の担当者は急遽事情で退職された)応えられなかったな、と思う、申し訳なく思う。

震えて終わった初日のあと、私は実際相当考えた。考えないとあかんに決まっている。どうしていかないとまた次もこんな恐ろしいことになるのか・・・。

一方的に向こうが話す、掴めない、聞こえない、わーー、で大やけど。

うーん、そうやなー、私が会話のイニシアティブを握ったらどうやろ・・。私が話をリードする・・・。そういう枠組みを作ればいいのか・・・。

「MMさん、ごめん、ちょっと力貸してくれない?」

T大学の社会人講座で仲良くなっていた帰国子女のMMさんに、決死の覚悟で私がリードできる通訳をするためのセリフ作りに協力してもらった。MMさんは我が事のように考えてくれて、私の言いたい事が相手に伝わるような、そんな英語を一生懸命、一緒に考えてくれた。

そう、絶対諦めたくなかった。私は通訳者としてお金をもらっているんだ、今度は大炎上なんて絶対したくない。あの時の私は震えながらも強く強くそう考えていた。(②に続きます。)




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