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休職期間 3ヶ月延長へ

しばらく文字が打てなかったけど、少しずつ再開しようと思う。無理に書こうとするのはなんか違う気がしていたから。

表題について、新卒から働き続けていたSE(システムエンジニア)の仕事を5月中旬からお休みしている。トラブルや人間関係、自分は一体何をしているんだろうという憂鬱からくるストレスなどが自分を崩してしまった、つくづくよくある話で嫌気が差してしまう程に。

7月の診察にて、担当医からは当初は7月末までだった休職期間を10月末まで、3ヶ月延長するべきだと告げられた。

※前回時点での休職が決まった時の話は以下。

休職理由としては、適応障害(抑うつ状態)というものだった。簡単にいうと日常生活に支障をきたす程、精神的にきてしまったという事だ。鬱状態に近く、日常的な食事や睡眠が送れなくなっていた。

今は通院を継続して、薬の服用をしながら社会復帰を目指している状況にいる。社会復帰ね…。


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27歳、社会人5年目のこの時期に一度仕事を休んでしまうと、正直戻れる気がしない。
例えば不登校の学生が永遠に学校に行けないような。様々な理由があってそうなった人達に対して失礼ではあるけど、それと似たような感覚に陥っているのではないかと自分勝手に感じている。

そして復帰予定の11月に対して本当に職場復帰をするのか、それとも転職するのかは未定だ。

人は突然時間が出来ると、何か行動して時間を無駄にしないようにせねばと思いがちになる。そして結局その焦燥と無気力に押し潰され、気付いたら何も出来なかったなんてオチが待っているのが大概であったりする。

だからこの休職期間の延長を受けて、僕はこれは久々に与えられた夏休みだと、あくまでも前向きに捉える事にした。

しばらく休めた影響で日常生活はほぼ普段通りの水準にまで回復する事ができた。ただ何かをしなければならない気持ちが無意識に奥底からフツフツと湧き上がってきてしまうと悪循環に繋がるから、何もしない期間だと決めつける事にした。

仕事をしている人は漏れなく全員がそれだけで偉いと改めて実感した。
自分あるいは家族または生活の為など、特定の目的の為にあんなに真剣に取り組む事などあまりないんじゃないかな。

ここで大事なのは、
働く事が正しい悪いの話ではなく、単純に偉いという事。そしてそれを"当たり前"という4文字で一蹴しない事」である。

「働くなんて普通の事で、至極当然の行為だ」という意見もあるだろう。
でもその当然を、当然ではなく更にもっと輝いた事柄として捉える事で、人生の幸福度は上がるし、自分自身が世界を見渡すフィルターがよりクリアになると思っている。

「自分の機嫌は自分で取れ」 by 関係各所

休職した事をきっかけに自分の機嫌の取り方を改めて考えらる状態となった。自分で機嫌を取るために何が必要か、どうしたら良いかを真剣に考えてみた。
自分自身の好きなものや人に没頭する、あるいは糧とする事で自らの機嫌を調整し、そして具体的に"それ"は何なのか?を探す事で、自信が休職期間を有意義に使えるんじゃないかと思っている。


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ここまで約1,200文字ほど書いてしまったが、うまく言葉にできない感情や思いをこうしてnoteに綴り今この瞬間の自分の気持ちを大切にとっておく、これだけで少しでも自分の機嫌を取れるんだなんて、この記事を書きながら感じてしまった、ああなんて皮肉なんだ。

またいつもの如く、結論がまとまらない散文になってしまったけど、頭の中のしこりは無くなった気がする。
"労働"に対する価値観と、自分の機嫌をとる事について書いてみた。
このnoteを書くという行為自体も自分の機嫌を取る事に繋がっているだろうと、少しだけスッキリとした気持ちで今日はここまでにしておく。

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