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英国・・・イングランド・スコットランド・アイルランド・ウェールズのロックシーンについて Part9 HMLTD『West of Eden』

HMLTDは2015年ごろに結成されたバンドだ。リード・ボーカルのヘンリー・スピカルスキー、ギタリストのジェームズ・ドノヴァンとデューク・ピーターマン、ベーシストのニコモーン・ブラット、ドラマーのアキレアス・サランタリス、以前まではライブキーボード奏者のセス・エバンスもいっしょに加わっていた。

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イギリスのイングランド南西部デヴォン州にある街トーキーに生まれたヘンリーは、学校の劇で演じたシェークスピアのロミオ役を務めたとき、演劇への興味を強く持つようになる。

田舎町だったデボンについて、「あそこの環境は有害だし、創造的な努力を育むには完全に不向き」と語っており、自身の興味は内々に秘めたまま、そのまま彼はロンドンへと向かう。

ロンドン大学で哲学科を修了してもなお、彼は演劇などへの興味を露わにしようと思っていなかったという。

「ライブを初めて見たときはすごく興奮したけど、ステージ上で4人の男がギターを弾いて、足元を見つめているだけ。似通っているのはすぐわかった。」
「本当に退屈でさ、この状況を変えようと思っていました。ショーマンシップがなく、観客への配慮もなく、非常に孤独な印象があったしね」
https://www.interviewmagazine.com/music/hmltd-henry-spychalski-interview

HLMTDのメンバー同士の出会いは、まるでオペラの劇のように衝動的だ。デュークとニコは以前からバンドを結成した仲で、ヘンリーがパブで酔っぱらってしまったところをデュークに介抱してもらったのをきっかけにして仲良くなり、バンドが結成している。なんやねんその出会い方、おもろすぎやん。

ヘンリーがロンドンに引っ越した時に共に過ごしたジェームス、デュークがRedditや4chanを通してサウンドエフェクトについて知り合ったブリストル出身のザック。ひょんなことをきっかけにして2人も加わり、他のタイミングで香港出身のヴィンセントも加わり、6人組バンドへと変貌を遂げる。

後々にヴィンセントは帰国し、ドラムスにギリシャ出身のアキリアスが加入。ザックが学業のために脱退した後は、セスが加入する。本編成は5人、サポート1人の体制になった。アキリアスはギリシャで、デュークやニコはパリやフランスに生まれている。このバンド、実はロンドン生まれが数人しかいない、ロンドン出身のバンド!なんてちょっと簡単には言えないよね。人種がいろいろ混ざりあってるヨーロッパらしさが端的に見えてくる。

イギリスの若きバンドが数多く登場してきた2010年代末、彼らは2016年ごろからHappy Meal LTDという名前で活動し、NMEからは『The UK’s most thrilling new band』とまで評価されたバンド、それがHMLTDだったのだ。

ソニーミュージックに所属し、先ごろアカデミー賞音楽賞を受賞したNine Inch Nailsのアメリカツアーにも帯同し、2018年には『Hate Music Last Time Delete』を発表。バンド活動開始で3年と少しで、目に見えるほどに順風満々なバンド活動を送っていた。

そこまで評価されたバンドが、昨年2020年にようやくデビューフルアルバム『West Of Eden』を発表した。パッと聞くと、信じられないほどに遅いように見える。彼らの道程は、いまの音楽シーンや情勢、ルックスから受け取られた偏見と批判、さまざまな評価と実情によって左右されてしまった、いわば苦労人のようでもある。

メジャーレーベルとの契約を早々にもぎ取った彼ら。デヴィッド・ボウイとも比較されるグラムロックらしい華々しいビジュアル、グロテスクさも含まれたアーティスティックなPVなど、その表現性はメジャーレーベルの資金力にかかればいかようにも巨大になる可能性があったはず。なのだが、ここでメジャーレーベルらしい問題とぶつかってしまう。

“The issue is, when you’re in that context, [employees] have to sell or they’ll get fired. We ended up being quite enslaved to the corporate machinery,” he recalls.
“There’s a great expression that goes a camel is a horse designed by committee’, and that points to the the bad decision-making that comes with an extensive bureaucracy. We’d have meetings about meetings about meetings, and no-one’s on the same page.”
「問題は、このような状況下では、(社員は)売らなければクビになるということです。結局、ぼくたちは会社の機械の奴隷になってしまったのです」とヘンリーは振り返る。
ヘンリー「『ラクダは委員会によって設計された馬である』という素晴らしい表現がありますが、これは大規模な官僚制度に伴う意思決定の悪さを指しています。会議には会議を重ね、誰もが同じ考えを持っていないのです」https://diymag.com/2020/03/02/dances-with-the-devil-hmltd-march-2020-interview
“We just tried to give them as much reason to drop us as we could… We sort of stopped writing and went on writing strikes. It was a shame that it got to that point because there were people that we really liked within Sony. That’s something that we should stress to mention. 
The issue is more just the general drive for profit you get in these organisations where everybody’s job is on the line. It’s this very destructive process with a life force of its own where everyone is answerable to shareholders ultimately, and you’re just an asset in an investment portfolio.”
ヘンリー「ぼくたちは、できる限り彼らがぼくたちを失う理由を与えようとしました......ぼくたちは作曲をやめ、ストライキをするようになったんだ。ソニーには私たちが本当に好きな人たちがいたので、このような事態になったことは残念でした。それは強調して言うべきことです。
問題は、全員の仕事がかかっているこのような組織に見られる、一般的な利益追求の姿勢にあります。これは、非常に破壊的なプロセスであり、それ自体が生命力を持っています。誰もが最終的には株主に責任を負い、投資ポートフォリオの資産に過ぎなくなるんです。
https://readdork.com/features/hmltd-interview-feb20/

なによりも『セールス力』を求められ、より良いアイディアを出してもトライすらさせてもらえない状況、メジャーレーベルらしいトップダウン方式な組織。活動をするうえで、制作上の自由がどんどんと束縛されていくことになったのだ。っていうか、抜けた後でソニーをここまで批判するのもすげぇな、豪胆だと思うし、相当にキレてたんだろうか。

同時にぶつかったのは、2010年代においてグラムロック的なビジュアルで音楽をすることでぶつかってしまう批判・・・バンドがクィアカルチャーを流用していると非難されたことにある。2017年5月、彼らがソニーと契約し、そのビジュアルと熱狂が徐々にイギリス内でも注目され始めたタイミングで、Vice Mediaが公開した記事「Are HMLTD Queerness Tourists or Guitar Music’s Greatest Hope?」という記事が、この批評・批判の最たるものであろう。

But they're recreating the vision of countless queer creatives, seemingly without understanding exactly why interviewers are so focussed on their aesthetic and their sexuality. 
They're theoretically interested in queerness without seemingly understanding the hardships that come alongside living a genuine life as a queer person in an increasingly dystopian world. So, are they impressive? Yes. Are they the avant-garde, boundary-pushing misfits the hype would suggest? I don't think so.
彼らは無数のクィア・クリエイターたちのビジョンを再現しているのであって、インタビュアーがなぜ彼らの美的感覚やセクシュアリティに注目するのかを正確に理解していないように見える。
彼らは、理論的にはクィアネスに興味を持っていますが、ますますディストピア化する世界で、クィアな人として真の人生を生きることに伴う苦難を理解しているようには見えません。では、彼らは印象的にみえるだろうか?そうだろう。彼らは、宣伝文句から想像されるような、前衛的で境界を押し広げるようなハミ出しものなのでしょうか?私はそうは思いません。

ドラッグ・クイーンやクラブカルチャーが近しいロンドンという場所、2010年代におけるLBGTQカルチャー(特にこの場合はQueernessに対して)への注目と理解、そして彼らの困難や苦悩を知っているのであれば、デヴィッド・ボウイ、T・Rex、ボウイ・ジョージなどのグラマラスで煌びやかな衣装やヴィジョンのみを盗用するような真似は、いかがなものか・・・?という問いかけ。

この記事が発表されたのが、2017年5月15日のこと、先にも書いたが、彼らが初めてEPを発売するのは2018年ことなので、まとまった音源を発表する以前のバンドにむけて、このような言葉は少々手厳しいものに見えるかもしれない。それほどに当時の彼らへの期待・批判は、イギリスの音楽メディア特有のハイプも加わりながらもかなり過熱気味だったことが分かるだろう。

当然、このような手厳しい評価を頂いたならばすぐにでも反論したいところなのだが、当時を振り返って、ボーカルのヘンリーはこのように答えている。

“The Vice article came out, and we felt like it had really dramatically misinterpreted what we were doing in a way which really upset us because we always see ourselves as doing something really positive, which is offering a critique of monolithic, toxic masculinity. We wanted to release a statement, and I think that Sony’s approach was basically to just sweep the matter under the rug. That was frustrating for us because this was really important to our mission statement, and we didn’t feel like we had the actual chance to express it.”
ヘンリー「Viceの記事が出たとき、ぼくたちがやっていることが劇的に誤解されているように感じ、とても腹が立ちました。ぼくたちは声明を発表したかったのですが、ソニーのアプローチは基本的にこの問題を闇に葬ろうとするものだったと思います。これはぼくたちにとって非常に重要なことでしたが、それを表現する機会がなかったことに不満を感じています」。
https://readdork.com/features/hmltd-interview-feb20/

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制作活動の束縛と苛立ち、LGBTQカルチャー的視座からの批判、それに対する返答ができなかったこと、こういった要因が重なり、彼らの活動は徐々に下火になっていく。と同時に、2018年といえば、南ロンドンのウィンドミルを中心としたシーンの同世代のバンドたち、Shame、Goat Girlらが頭角を現し始め、Partisan Recordsに所属して切磋琢磨しつづけるIdlesやFontaines DCといった存在も大きくなっていた時期だ。HMLTDへの羨望は一旦収まり、彼らへと注目が集まっていくことになる。

ソニーとの契約を終え、6人だったメンバーも減って5人組編成となったHTMLDだが、彼らの創作意欲は衰えることはなく、イギリスを中心にライブ活動を続けていくことになる。そんな彼らに目を付けたのは、同じイギリス・ロンドンのインディレーベルのLucky Numberだった。

かつてCaged AnimalsやAlex G、Friendsといったインディミュージシャンをそろえ、現在ではHinds、Dream Wife、Jay Somといった女性アクトが中心となって所属している。2010年代初期から契約を続けているDarwin DeezやSleigh Bellsといったインディらしい「ヘンテコなストレンジ・ポップス」を生み出し続ける2組がいるというのも、このレーベルの重要な部分だろう。

突飛な音楽性に重きを置きつつ、女性アクトへの目配せが効いたこのレーベルに、ゴージャスでグラマラスなHMLTDが参加する。その関連性は見逃せない部分じゃないかと思う。なんというか、このレーベルに参加するのがシックリくる。

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紆余曲折を経た2020年2月、彼らにとってのファーストアルバム『West Of Eden』が発売された。彼らのバンド活動、その原点には「ギター・ミュージック」への不信と「皮肉」への嫌悪がある。

There only seem to be two routes available at the moment,” he says. “One is all about technical ability, which I think is very dangerous, because it will put a lot of people off joining a band. The other is much worse, which is this lazy Britpop iteration, which I detest more than anything in the world.”
「現在、ギター音楽には2つのルートがあるように思われます」とヘンリーは言います。「1つは技術力を競うもので、これは非常に危険なことだと思います。多くの人がバンドに参加するのをやめてしまうでしょう。もうひとつは、もっとひどいもので、私が世界で一番嫌いなブリットポップのような怠惰なものです」
That’s what really bored us about guitar music and alternative music generally, is that with so many artists it felt like all their songs sounded roughly the same. Part of that comes from a place of irony and sort of cool self-detachment, which is a really terrible trait of contemporary culture; this focus on coolness and irony.
ヘンリー「ギター・ミュージックやオルタナティブ・ミュージックについては、多くのアーティストの曲がどれも同じように聞こえてしまうことに、ぼくたちはとても退屈していました。それは、皮肉やクールな自堕落さから来ている部分もありますが、クールさや皮肉にこだわる現代文化の特徴としては、本当にひどいものがあります。」
https://readdork.com/features/hmltd-interview-feb20/
I hate irony. I think it’s a really damaging cultural trend. It comes at the expense of meaningfulness and sincerity and truth and honesty. But I think we were scared and we did hide a lot of things behind irony. The culture of irony makes people afraid to say or do anything because they’re afraid of sounding stupid. People are afraid to put their balls on the table and say something that might be deemed pretentious.
ヘンリー「ぼくは皮肉が嫌いです。皮肉は、文化的な傾向として非常に有害だと思います。皮肉は、意味深さや誠実さ、真実や正直さを犠牲にするものです。でも、ぼくたちは怖れを感じていて、多くのことを皮肉の後ろに隠していたのだと思います。皮肉の文化は、人々に愚かに聞こえることを恐れさせ、何かを言ったり、やったりすることを難しくします。気取っていると思われるようなことを言うのが怖いのです」
https://www.nme.com/features/music-interviews/hmltd-sony-parkas-the-west-is-dead-2574264


加えて、ロンドン大学で哲学科を収めたヘンリーの思考は、やはり哲学や現代思想寄りにはなるらしく、「ヨーロッパ社会の中心にあるべきモラルが喪失している」ことが今作のテーマにあったという。目に見える諸問題についてではない、規範性についてへの目を向けているのだ。

“A lot of people point to Brexit and Trump as being a crisis, but I think they’re responses to a crisis which has already happened,”
“The album is about the spiritual collapse of the West, where religion has died out and nothing has taken its place. All we’re left with is sex and shopping ? endless attempts to satiate desires which can never be fulfilled. No wonder people feel frustrated.”
ヘンリー「多くの人がブレグジットやトランプを危機だと指摘しますが、ぼくはそれらはすでに起こった危機への反応じゃないかと思います」
「このアルバムは、西洋の精神的な崩壊をテーマにしています。宗教は死に絶え、その代わりになるものは何もありません。ぼくたちに残されたものは、セックスとショッピングだけです。決して満たされることのない欲望を満たすための終わりのない試みです。人々がフラストレーションを感じるのも無理はない」
https://www.anothermanmag.com/life-culture/11115/hmltd-interview-west-of-eden-debut-album-henry-spychalski

このように語っている。こうしてみると、彼らを動かすのは様々に混ざり合ってしまった苛立ちだろうか。インタビューで名言はしていなかったが、「ソニーとのメジャー契約時のイザコザ」で体感した資本主義社会の厭らしさも、現代社会批判な構想にまちがいなく影響を与えているだろう。

さて、グラムロック的なド派手な衣装、LGBTQな人々を刺激するようなノンセクシャルかつエッジな表現、そのうえで先に話したように「ギターロックが退屈」というと、ポップフィールドを縦横無尽に横断していくサウンドは、インディ・ミュージックらしい奇妙さもしっかりと含まれた音楽だ。

深いベースサウンドとうねりに身を任せ、淡々と叩かれ続けるドラム、ギターとマニピュレーターの音はミニマルすぎるほどに少なく、不穏なムードを漂わすタイトル曲「The West Is Dead」から始まる。

スローなリズムでも強くビートしているリズムトラック、強く歪んだシンセベース、よく聞くとハイハットの刻み間隔が小さくなり大きくなり・・・もうこの時点でフツーなギターロックバンドとは違う、ダークウェーブ~エレクトロなバンドなのかと思わせる。

もちろん、一筋縄じゃないのがこのバンドだ。「The Ballad of Calamity James」のマカロニ・ウェスタン風味なインタールードから、彼らにとって一番のヒットソング「To The Door」へと繋がると、マカロニ・ウェスタンなムードを引きずったままにギターリフを前面にしたパンクが展開される。

「ウッ!!ハッ!!」と入ってくる合いの手は絶妙すぎるし、ゴチャゴチャとせわしなく続くアンサンブルとコード進行、そして突然のトラップビート系統のトラックが差し込まれる。正直言おう、周到なまでのコミックソング、ギャグにしか聴こえない。仮に作る側になって考えてほしい、「こんな曲を作ろう」なんて思うだろうか。

そしてこのPV。ちなみにこの曲自体はソニー所属時代の2017年に発表されており、彼らがメディアからキラ星として評価されていたころの曲だ。PVのプロデューサーはJenkin van Zylだ。

演劇を外側から見てとり、メタ的に「殺し」にくるという手合いの内容。「私は皮肉が嫌いです。皮肉は文化的な傾向として非常に有害だと思います。」というヘンリーの生真面目な言葉をまともに受け取れば、これも彼らなりのアートなのだろうと察するところはある。

突飛なアヴァンギャルドさやストレンジさは今作で随所にあらわれている。「Why?」での判別不能な言語を歌うオイスは初音ミクらのボーカロイドっぽくもあり、オートチューンなどでキツめに加工がされたもののようにも聞こえる。まるでおとぎ話やミュージカルのイントロダクションのように始まり、途中から正統派なポストパンクへと変幻してい行く「Where's Joanna?」もある。

とにかく縦横無尽に音楽を紐づけ、キメるところはアヴァンギャルドかつ奇抜に。ライブするときの彼らの姿が思い浮かぶくらいだ。躍動的で、野性的で、演劇的だ。自身らのメッセージや信念を美しく、丁寧に描くために様々なアートフォームを取り込むその姿は、まさしくポストパンクらしいとも言えるだろう。最後に、ヘンリーの言葉を載せて終わろう。

“When people present the truest version of themselves, I think they feel sexy.”
“That’s all we could ever ask for for our shows, that we create this environment where people can really be themselves and not be judged for it.”
“People are so afraid to be seen to try hard, and they’re the same people that are willing to throw around the word pretentious,” “But it’s also a word that can be applied to every great development and idea in the history of culture.
When Duchamp did the urinal, that was pretentious; when John Cage did four minutes of silence, that was pretentious; when Jackson Pollock splashed loads of paint on a canvas, that was pretentious. So when people say we’re pretentious, I’m like, ‘Great. Thank god we’re not fucking boring’.”
本当の自分を見せることで、人はセクシーになれると思う。
私たちがショーに求めているのは、人々が本当に自分自身でいられて、それを批判されないような環境を作ることなんです

努力しているところを見られるのを恐れるあまり、気取った言葉を平気で使う人たちです。でも、これは文化の歴史上のあらゆる偉大な発展やアイデアに適用できる言葉でもあります。
デュシャンが小便器を作ったのも気取っていたし、ジョン・ケージが4分間の沈黙を作ったのも気取っていたし、ジャクソン・ポロックがキャンバスに大量の絵の具をぶちまけたのも気取っていた。だから、私たちが気取っていると言われると、「素晴らしい。よかった、私たちが退屈じゃなくて」と思います。



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