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呉服屋を家業に持つ、塩冶 栄さん


家業があって、それを自分に合った形でサポートしたり、進化させたりしている人のことを、僕らはグラフトプレナーと呼んでいる。いったいみんな、どんな活動をして、どんな毎日を送っているんだろう。今回インタビューするのは呉服屋を家業にもつ塩治栄(えんや・さかえ)さん。

プロフィール
お名前 :塩冶 栄(えんや さかえ)
ご年齢 :35歳
家業: 島根県松江市にあるえんや呉服店
現在 :えんや呉服店後継者


島根県松江市の呉服屋が家業

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島根県松江市にあるえんや呉服店を家業に持つ塩冶さん。昭和28年に洋服の服地屋として創業したお店は、昭和42年に行われた建て替えをきっかけに着物の販売を始めます。当時は大所帯の会社でしたが、時代も変わり、現在は塩冶さんのお父様、塩冶さんの奥様、塩冶さんの三人で経営しています。「自宅と店舗が同じ建物にあるので、小さい頃は両親が仕事をしている姿をすぐそばで見ていました。仕事中は邪魔になりそうだったので構ってもらえず、寂しい気持ちになった事を覚えています。家族みんなで夜ご飯を食べた後に、お客さんへのDMを封筒に入れたり簡単な作業をよく手伝っていました」

もやもやしていた会社員時代から継ぐ決意をするまで

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塩冶さんは三人兄弟の末っ子です。家族間や兄弟間ではどんな話し合いがあって、塩冶さんがえんや呉服店を継ぐことになったのでしょうか。塩冶さんの会社員時代から家業を継ぐ決意をするまでの話を聞きました。「新卒で自動車販売の会社に務めて2年経ったころ、頭の片隅に”家業を継ぐのは、僕なのか兄なのか?”という考えがあることに気づいて、もやもやするようになりました。このままではいけないと思い、兄と初めて家業のことを話しました。どちらが継ぐか話し合った結果、僕が継ぐことになりました。そうなれば一度は外の呉服屋に就職して学びたいと思ったので、それから3年ほど岡山の呉服屋に勤めました」


自分なりの経営スタイルを見つけるまでの歩み

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家業を継ぐことになった塩冶さんには、お母様と一緒に働きたいという想いがありました。お店の中心として商売をしてきた母親の背中を見て育ったことや、親子としても波長が合うと感じていたからです。しかし、塩冶さんが松江市に帰る2、3ヶ月前にお母様の乳がんが発覚します。「僕が実家に戻ったと同時に母は仕事ができなくなりました。色々と考えていたことは出来ずに終わってしまいました。」

塩冶さんが松江市に戻ったのは7年前のこと。当初の環境はとても過酷なものでした。「店を守ってきた母が不在のまま、今までの売り上げを維持しなければならないプレッシャーはとても大きかったです。先のことなど考えられなかったし、目の前のことを精一杯やるしかない、それが最初の1年でした。2年目で岡山の呉服屋時代に一緒に勤めていた人と結婚しました。妻にうちの女将さんになってもらうのですが、商売のことや地域性についてはすぐ慣れるものではありませんし、育った環境が違うからこそ私と妻の感覚にはギャップがありました。お互いの意見を尊重し、うまくバランスを取ることが出来ずに最初はぶつかることも多かったことを覚えています。3年目で子供ができまして、妻は妊娠中のつわりが大変ですし、子育てもありました。僕はお客さんとの関係性もなかなか出来上がらず、まだまだガムシャラに走り続けていましたね。4年目になり、うちの母が寝たきりになりました。63歳と若かったので施設に預けず家で介護することを父と決めました。母はお店の裏側でベットで寝たきり、トイレのことや食事のことで何度も裏と表を行ったり来たりしました。5年目になり、母が亡くなりました。時間にゆとりが出てきた頃、このままの営業方法では呉服屋を続けられないということに気づいて、情報発信に力を入れようと決めました。」


ライブ配信との出会いときっかけ

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「まず全国の呉服屋さんの事を調べました。その時、愛知県の呉服屋さんが10年も前からライブ配信をしていることを知りました。私はその人から着物を買えばこの人の魅力がわかるはずだと思い、島根から愛知まで会いに行きました。接客される時に身分を偽るのは申し訳ないので呉服屋だということを話してから、ここまで来た理由と着物を買いたい事を伝えました。そうすると『本気だということは分かったから、自分のやっている事をお伝えします』と配信の裏側や情報発信の効果について教えてくれました」

それからしばらくSNSでの発信に力を入れていた塩冶さん。ライブ配信を始めたのはコロナ禍のことでした。「松江市の商店街仲間とZOOMで会議をしている時、その風景がすごく良い映像に見えたのです。これをインターネットに出したら良いのでは?と思いついて、すぐ提案しました。そうすると、まさか仲間の一人がライブ配信経験者だということが発覚し『もし興味があれば、二人でやってみませんか』と声をかけてもらって、その日の晩に対談の様子を配信しました。実際にやってみるとすごく面白かったので、すぐに自分でも始めました」

まず10分間の配信を3日間連続で行った塩冶さんは、あっという間に配信の面白さに魅了されていきました。「私はもともとインターネットには疎く、苦手意識が強かったんです。しかし、いざ始めてみると面白かった。ライブ配信では声や表情を届けることができて、コメントにすぐに答える事ができるのでたくさんの人と同時に話せます。コロナ禍でお店にはお客さんが来ないけれど、画面を通して接客することが出来ました」

主な客層が60~80代の呉服屋には若い人の集客という大きな課題があります。そのなかでライブ配信でえんや呉服店を知り、ウェブショップで商品を購入してくれるのは30~40代の若い客層でした。「同世代のお客さまが増えました。ライブ配信やSNSで発信をするならウェブショップは作っておくのがおすすめですね。実際に売上に繋がったからこそ、ライブ配信にもう少しお金をかけたり時間を注いでも良いと思えたました。機材を買ってみたりして日々進歩しています」

ライブ配信と出会ってみつけた自分なりの接客

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塩冶さんは商品の紹介や着物の知識を話す配信が終わった後に、アーカイブを残さない配信をしています。そこにはウイスキーを飲む塩冶さんの姿が。「私の顔が赤くなっている姿がいいらしいんです(笑)そういったありのままの私を見て来てくださったお客様はニコニコしながらお店に入ってくる事が多いですね。そういうお客様は僕のことを受け入れてくれている。だからこそ丁寧な接客でも丁寧な説明でもなく『これすごい良いですよ~』という一言で理解してくれる。今まで真面目で丁寧な接客をしなければならないと思っていましたが、素直に心の声でモノを語った方が相手に届くのだと、今は思っています。

商店街にもライブ配信を発展させていきたい


ライブ配信を通して自分の個性を再発見した塩冶さんは、これからどんなことに挑戦したいと思っているのでしょうか。「ライブ配信で得た経験のインパクトが強かったので、これからはもっと人を巻き込んで、輪を広げていきたいと思っています。その一環として商店街と一緒にライブ配信を発展させていきたいです。発信を強めるというのは、お店の魅力にも地域の魅力にも個人の魅力にもなりますから。」

車の販売からキャリアが始まり、もやもやしていた気持ちと向き合って家業を継ぐ決意をし、岡山の呉服店で知見を得て、妻になる大切な人と出会い、家業に入ってからは母不在の中で売り上げを維持しなけばならないプレッシャーと戦い、夫婦間のこと、子育て、母の看護と死をを乗り越えてきた塩冶栄さん。ライブ配信に力を入れて、呉服屋の新しい集客方法を獲得しつつあるえんや呉服店は、これからも個人の魅力を武器に塩冶さんにしかできない集客方法で家業をアップデートしていきます。

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