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Sha,la,la,la,la, 今,ここでぼくは........。


Now&Here#00  (2004年8月記)

あの頃、あの場所で、
十代のぼくは、
ポップ・ミュージックのサウンド中で
「生活といううすのろ...。」
「つまらない大人には...。」
「本当の真実かつかめるまで....。」
と歌われた音楽に心を奪われ、
そのサウンドの中の主人公に
歩みを合わせようと
つま先立ちながらスリルと
怠惰を繰り返す日々を、
ある時は心底陶酔しながら、
ある時は遠く離れて
うそぶきながら歩き続けた。

そして、時を重ねるごとに
ぼくはこの世界に
何度も打ちのめされ、
自分自身のふがいなさを思い知らされ、
それでもこの世界はまわり続け、
ぼくはぼくなりの小さな幸せを
失ったり手に入れたりしながら、
それなりの生活を繰り返している。

そんなぼくの日常の中で
とっくに失われしまっていたと
思いこんでいた気持ちや
昔に見た影を感じる
アルバムを手に入れました。

アルバム「THE SUN」 
佐野元春&The Hobo King Band

それは、ぼくが十代の頃に
感じた何処かへつながる
漠然とした連帯感、
現在ここにいる 自分の現実味、
そして太陽のしずくと
夢のかけらを凝縮し、スパークさせた、
きらめくようなサウンド。
続いてきた物語が新たな文脈の中で
息を弾ませ始めた。
ありふれているが
最大公約数ではない物語。
ここちよく寄り添う言葉とメロディ。
佐野元春&The Hobo King Bandの
緻密でいて、
親密でいて、
秘密めいたサウンドは
魔法で磨きをかけられた
宝石のようです。

21世紀を前後した期間の
この世界の変わりようを
目の当たりにして、
佐野元春は
ソングライティングや発声、
歌唱法を試行錯誤を
ほとんど休みなく
隠遁することなく痛々しい
くらい繰り返して来たのを
多くのファンやリスナーは
よく知っている。


その期間の中で2001年から
開催されはじめた
スポークンワーズを
主体としたライヴが
通常のポップの現場とは別の
発露として設けられるようになった。
このことは佐野元春の
ソングライティングを
より自由にしたように思います。

ポップソングの中で
佐野元春自身に身籠もる言葉や
BEATを表現しようという試みは
今までにも幾度となく
繰り返されて成功例もいくつもありますが、
こうしたスポークンワーズ
という佐野元春ならではの
ユニークでスリリングな
表現の場の枠がもう1チャンネル
増えたことでスポークンワーズは
よりエキサイティングに、
そしてポップ・ソングは
形式や精神をリスペクトしながら
はみ出したりしながら
より高い青い空をこれからも
駆けめぐってゆくように思います。

3年前の2001年の7月、名古屋で
佐野元春&The Hobo King Bandの
ライヴを観ました。
この年の夏も今年のように
うだるような暑さだったけれど、
目の冴えるような見事なサウンドに
ぼくは佐野元春&The Hobo King Bandの
新たな物語の始まりの兆しを
感じていた。
その後たった3年だけど様々な
信じられないような事件や状況は
とどまることなく繰り返し、
血は流れ続けてはいるが
リアリティのなさに
麻痺してゆくヒトとしての感覚、感情。
目の前の日常は慌ただしく
流れつづけ押し流され、
ここにいる自分が狂っていく
という不安。
狂気を無意識に感じ取る子供達は
生き延びてゆくために
狂気を身につけてゆく。
愛を積極的に育もうとするヒトは
生き延びるために
夢を見る力を身につけてゆく
必要があります。

眠りの中、
川のほとりでひざをかかえてる
十代の年頃の男の子が夜を眺めてる。
ぼくは川に沿って歩き続ける。
下流はほど遠く。
足元を見るのが精一杯のぼくは、
少しだけ顔を上げ遠くを眺めた。
そこには、あなたとぼくのための道が
ぼんやりと月に照らされていた。

今、ここでぼくは
不自由な自分を引きずりながら
永遠に輝き続ける自由に憧れ、
不安な心情を押し隠し
安定的に繰り返しているかの
ように見える日常の隙間に漂う
小さな羽をつけた希望の
重さを無意識に計る。

そして、一日の終わりに注ぐ
発泡酒の泡の中と
アルバム「THE SUN」の
サウンドの中に神様を見出す。

I Still Love Rock&Roll.

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