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自由になったらなったで

朝、記事を投稿し、それをSNSにシェアするときに、まだ頭がぼんやりしていたせいか、二工程のうち最初の一工程目をいつもと違う手順でやってしまった。毎日やってきたことなのに、その瞬間、二工程目の手順で混乱し数秒から数分手が止まった。


私の生活は、何曜日に何をするということが割とはっきり決まっている。例えば今日は入浴、明日はリハビリ、その次は外出…のように、同じルーティーンが毎週日続く。
その中で、時々リハビリを休んだり、外出しなかったり、あるいは年末年始で入浴のタイミングが変わったりすると途端に曜日がわからなくなる。
日々一つ一つちゃんとこなしながら生活をしているはずなのに、この例だけを見ても、いかに毎日ぼんやり暮らしているかよくわかる。

もしも、私が今日はここ、明日は北海道、明後日は沖縄、その次はアメリカ、その次はヨーロッパ、そんなふうにあちこちを飛び回るような生活だったら一体どんなだろう。
友人の1人が、「もし動ける身体だったら日本にないよね」と言ったことがあるが、これまでも書いてきたように外に出るということがとても重要な私にとっては、友人の一言もあながち冗談とは言えないかもしれない。
でももしそんな生活だとしたら、今日が何日で何曜日かはっきりわかるだろうか。

私は単調でいることが苦手だ。母は毎日同じものを食べても良いと言う。私にはそれはできない。毎日同じ生活もできない。多分毎日電車に乗って毎日同じ職場に通うこととか、毎日同じものを作るとか、毎日変わらず安定的でいることができないのだと思う。


何曜日に何をするというルーティンも、時々壊してしまいたくなる時がある。言い換えると、本当は自分の好きなときに好きなことをしたいのだろう。そしてそれはきっと障害を持つ人だけではなく、病気や障害がない人だってそうなのかもしれない。

どうしてこう人は、時間や曜日や日にちに縛られなくてはならないのだろう。
そういう人の毎日はどんな風だろうか。
もっといろいろなものから自由になって暮らしてもいいのに。
それとも、自由になったらなったで、もっともっとぼんやり暮らしてしまうのだろうか。

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