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まだ知らぬカナンの地

能登半島で起きた大地震で災害関連死を防ぐため、高齢者を中心に2次避難所への移動をお願いしているという。高齢になると新しい環境への適応がなかなか難しいと言われるが、中には「この場所を追い出される」とまで思う人たちがいることに、私ははじめて知った。

我々”若い者”にとっては、より安全で快適な避難所への移動が最善であることはすぐに理解できるし、将来的に戻れる可能性を信じることもできる。
しかし、高齢者にとってはもう戻れないかもしれないという想いの方が強いだろう。実際に「すぐに戻れるよ」とは言えない程、集落は壊滅してしまっている。


イスラエルの人たちが祖国を追われ離散し、世界中を彷徨い、その土地土地に根を下ろしてもなお「約束の地カナン」を再度目指したのは何故だろう。
それは土地ではなく、神への愛なのか、それとも虐げられ、搾取された人たちのプライドをかけた闘いなのか。

私には土地に対する愛着を持っていない。
今住んでいるこの場所に引っ越したのは、私が小学校に上がる直前だった。
すぐに親元から離れ、治療・リハビリをしながら院内学級で学ぶ養護施設に入園した。退園した後も家から離れた養護学校に通っていたので、近所の子供と勉強机を並べたことはない。だからこの地に幼馴染もいなければ、同じ思い出を持つ人もいない。
近所の人とだって、それほど付き合いがあるわけでもない。

土地への愛着のなさは、多分それが理由なのではない。
子供の頃からだ。私が住みやすいと感じるのはここではないと思っていた。
他の土地に行っても、おそらく同じように思うのだろうということもわかっている。
外出先から帰宅しても、ホッとする感覚がない。ただ、家族がいて、自分の持ち物があり、寝るところとトイレの心配がないという、それだけの感覚だ。
そもそも私は安住することを否定しているのだろうか。
それとも、私は約束の地カナンをまだ探しているのだろうか。

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