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「降ってくる」は正しいか

先日放送されたNHK大河ドラマ「光る君へ」にこんなシーンがあった。
新しい物語を書こうと試行錯誤するまひろ(のちの紫式部)は、執筆に息詰まり、気分転換のために庭に出る。その時、物語のアイディアを思いつく。その心象を、色とりどりの和紙が天からはらはらと降ってくる映像で表現する。表情を変えずただ立っているまひろ、青空の上から止めどなく和紙が降ってくる。
とても美しいシーンだ。
創作者がよく言う「降ってくる」をそのまま表現したのだと誰も疑わないだろう。


「降ってくる」という表現、私自身も物語を書いたり、イラストを書いたり、何かしらの創作物を創るときに、あのような感覚になることがある。それはまさに「降ってくる」であり、降ってくるだけではない、モヤの中から何かが現れるようである。


しかし、経験値のない創作分野に対して、アイディアが降ってくるかと言われるとおそらくそれはないだろう。
例えば彫刻。小学生の時の図工の時間に彫刻をしたことがある。それはとても楽しい時間だったが、その後彫刻を続けてみようと思ったことはないから、今ここに木の板があったとしても、何をどう彫って良いかわからない。例えばダンス。高校生くらいまではまだ今より体が動いていたから、運動会での女子のダンスだとか、アイドルの振り付けだとかはできたけれど、今新しいダンスを考えてみろと言われても全く想像がつかない。


私は長いことプログラミングの世界にいた。とは言ってもOSを作るなどということは全くできない。作ることはできないが、およそこんなふうに作られているだろうとか、こんなふうに動いているのだろうなということは想像がつく。しかし、プログラミングをしたことがなく、ただ入っているアプリを使うだけの人とか、ましてOSという言葉を知らない人にとっては、パソコンやスマホがどのように動作しているか全く想像がつかないだろう。


つまりその分野における蓄積があってこそのアイディアが「降ってくる」なのである。
ある分野についてたくさん見聞きし、実際に手足を動かしてみるという経験がアイディアに結びつくのであって、突然暗闇の中から光が湧き出すわけではない。仮にそのようなことがあったとしても、光の泉はいつか枯れてしまう。まひろは子供の頃から漢文や文学に親しんでいたからこそ、それを土台として新しい1ページを刻めたのだ。


だから、アイディアが「降ってくる」という表現は間違いではないが、経験値なくして突然湧いて出てくるものではない。蓄積と、蓄積を一歩だけ踏み出した新しい発想によってなされるものである。

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