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断捨離と幸福感はイコールか

以前「断捨離を止めた」という記事を書いている。
その記事をもう一度読んでみようと思って探したが見つからない。
情報を処理するという仕事に長い間携わってきたのに、自分の情報する上手に管理ができない。
ましてモノの管理など、きっと私には向いていないのだ。

数年前、モノを減らしてすっきり快適に暮らしたいとか、モノへの執着を捨てたいとか、雑誌に出てくるようなとまでは言わないが、シンプルできれいな部屋にしたいなど、それなりの野望を抱いていた。
当時ある程度モノを捨てることはできたが、今私の所有物は確実に増えている。

その所有物の中に、ガラクタや使っていないモノや執着のために持っているモノはない。毎日使うものもあるし、毎日とは言わないまでも、定期的に使うモノもある。いやいやながら使っているモノ、いつか使うからと溜めこんでいるモノ、高価で使うのがもったいないという理由で使っていないモノ、そういうモノはない。
だが、見た目に良くない程、今はモノが溢れている。

たとえば本だ。
すっきりと暮らしている人の中には図書館を利用したり、読んだ本はすぐに売りに出すという方もいらっしゃる。
私のライフスタイルを考えると、期日までに読むことは難しく、期日に迫られて雑に読むことはしたくない。
売りに出すために、障害のある私は人の手を煩わせねばならず、相手の都合やその他諸々を考えると面倒になってしまう。
どこかの時点で捨てる方が簡単だ。

たとえばアクセサリーだ。
きちんとした貴金属のものも、プチプラのものも所有しているが、割合としてはプチプラの方が多い。
大胆なデザインのピアスはプチプラの方が良いし、そしてプチプラだからといってすぐに壊れない。私は失くすということもほとんどない。
最近は作家モノに心惹かれる。個性的で、まして手作りであればもう捨てるなんて発想もない。

他にも香水、絵を描く道具、細々したモノがたくさんある。

企業だってすっきりしたお部屋の提案・片づけ術などといって、商品を販売しているのだし、もし皆がすっきりした生活のためにモノを買わなくなったら経済はストップする。
だから私は経済に貢献しているのだ!
という理由をつけてチマチマと購入している。

「断捨離をすると幸福がやってくる」とか「良いことが起きる」などと片づけ系コンテンツは声高にいう。
もちろん、嫌なものを目にしながら捨てないとか、探し物でイライラするとか、たくさんあるのに今日着ていく服がないとか、そういうことを解決することにメリットは感じるが、モノが多くても私は幸せだし、良いこともたくさんある。


断捨離は精神論であって、断捨離・片づけを通じて、自分が過去に縛られていたり、快適ではないことをいやいや受け入れていることから脱却しようというのが本質である。
モノを持たない暮らしには憧れはなくもないが、家にいる時間の方が多い私にはモノがある方がおそらく心地が良く、外出する際にたくさんのアクセサリーや香水から選び取る行為は楽しい。
買ってまだ使っていないモノには若干の罪悪感もあるが、手に入れた・ここにあることに幸福感を感じているのであれば、手放す必要など全くないと思う。

雑誌にでてくるような部屋、余分なものがない暮らしは私にはきっと一生手に入らないが、自分自身が幸福と思えるなら、モノが多かろうが少なかろうが関係ないのではないだろうか。

そんなふうに思いながら、私は昨日買ったかわいいピアスをニヤニヤして見ている。

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