不完全数666
この記事が皆さんの目に触れるのは6月7日だが、執筆はその前日、令和6年6月6日だ。語呂が良いだけでなく、映画ファンにはお馴染みの数字「666」、不吉を意味する日である。
キリスト教圏の言語を学んでいて、その言葉の中にキリスト教の概念が多く含まれていることを知ってはいても、やはり私は東洋人であり、「666」を見ても、4や9程の嫌な感じは受けない。単に映画の世界の出来事という感じである。
何故「666」が不吉な数字とされているのだろうか。
この質問を人に投げかけた時、こんなふうに答える人がいる。
「それはね、聖書で”獣の数”と書かれているからですよ」
こんなふうに答える人もいるはずだ。
「諸説あるんですけどね、よくわかっていないらしいんですよ」
さて、私はどちらの答えを求めて質問したのだろうか。
質問と答えは、質問者と回答者の知識量と読解力に依存している。これが食い違うとお互いに話が通じない。
しかし、いくら双方の知識量と読解力が優れていたとしても、適切な答えを引き出すために”完全”な尋ね方をしなければ、意図しない”不完全”な答えが返ってくる。
わからないから質問をするのに、はじめから”想定された”答えがあるというのも不思議な話だが、とっかかりの質問が完全か不完全であるかによって、答えもまた質問者の意図に完全であるか不完全であるかが決まってくる。
ちなみに、「666」は獣の数字と呼ばれ、新約聖書・ヨハネの黙示録に記述されている。何故それが不吉な数字と呼ばれているのかはっきりとはわかっていないようで、いくつかの説があるのみである。
私の完全な質問の仕方はこうである。
「666」が不吉な数字とされている根拠はなんですか。
しかしどうやら、私の疑問に対する回答は不完全なままのようである。
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