持続可能なアルゼンチンタンゴ③ ジェンダーフリーでダイバーシティーがインクルージョンな私たち
アルゼンチンタンゴは官能的で情熱的?それもいいけれどそれだけじゃない、もっともっと、誰でも楽しめるものだということを、筆者なーが力の限りお伝えします。
アルゼンチンタンゴのイメージ、固定概念
「アルゼンチンタンゴ」を検索すると、スーツに身を包んだマッチョな男性と深いスリットの入ったドレスを着こなす女性の写真が現れる(ちなみに”macho”は男、男らしいという意味のスペイン語)。日本で見かけるタンゴショーのチラシには必ずと言っていいほど「情熱」「官能」という言葉が使われ、セクシーなラテンダンスというイメージがつきまとう。実際にタンゴを踊る人間からすると、まぁ半分は同意できるけれど、それだけじゃないんだけどな、、、というところがある。
日本人は「セクシー」が苦手?
日本で育った人なら、「セクシー」という言葉が必ずしも良い意味で使われないことを実感しているはず。性的な魅力が表に出ているということは「下品」と紙一重であったりするし、メディアでは長髪で陶器のような肌をもつ中性的な男性や、前髪をつくって実年齢より幼く見せる女性が人気者だ。服装も、身体の線を見せないスタイルがここ最近の主流だ。
昭和に活躍した俳優の顔立ちやバブル期のボディコンファッションを見ると、時代的な影響もあるのかもしれない。少なくとも近年の若者の服装を見る限り、女性も男性もオーバーサイズの服を着て身体の線を見せず、男らしさや女らしさを隠す方向へ進んでいる気がする。だから、タンゴのイメージが「セクシー」に留まってしまうことは、そのまま日本でのタンゴ衰退につながるのではないかと危惧している。令和の時代に「セクシー」は流行らない。
「日本人は」と大きな括りで論ずるには注意が必要だけれど、カナダ在住の漫画家がファッションについて面白い記事を書いていたので紹介。異なる視点ではあるものの、外界に身を置くことで日本の特殊性に気づくことがある。
https://curazy.com/archives/294856
タンゴの男性優位性
見た目の話もさることながら、タンゴという踊りは男が全ての主導権を握っているようで、随分男性優位的じゃないか、と言われることがある。確かに他のペアダンス同様、タンゴでも男性がリードし女性がフォローする。タンゴのダンスパーティでは、男性から女性を誘うことが世界共通ルールとなっている。但しここで見落とせないのは、女性には断る権利があり、一緒に踊るかどうかの決断権は女性にあるということ。男性は踊りたい女性へ目配せをするだけ。そこへアイコンタクトを取りにいくのか目を逸らし無視するのかは女性が決める。リードフォローの仕組みにしても、男性が指示して女性が従うという一方向のものではなく、互いの慣性を利用する双方向的なもの。一方が初動を作り、相手が動いたエネルギーを利用してまた一方が動いて、、、と循環する。二人の間で役割を分担しているに過ぎない。
ダンスとセクシャリティ
タンゴを踊っていて必ず質問されるのは、「パートナーと恋愛関係になるのか」。・・・話聞いてた?・・・私が何でタンゴを始めて、何が面白くて続けているのか、さんざん話した後で、出てくる質問がそれ?・・・それしか頭にないの?・・・と思うけれど我々人間、それしか頭にないのだ。真面目に答えると、プロアマ問わず恋人や夫婦同士で固定のダンスペアを組んでいる人はいるし、それと同じくらい恋愛関係でないペアもいる。友人関係や兄妹(姉弟)で組む場合もあるし、男同士・女同士の場合もある。そして性志向とダンスのパートナーシップは必ずしも一致しない。同性愛者が同性とペアを組むとは限らないし、異性愛者が同性とペアを組むケースもある。世界各地にQueer Tangoと呼ばれるような、性的マイノリティが主体的に立ち上げるタンゴコミュニティは存在するものの、通常のパーティでも女性リーダーや男性フォロワーが遊びに来るのでコミュニティが分かれているわけではない。ちなみにゲイパレードで有名なアムステルダムで筆者がQueer Tangoのパーティへ出かけたときには、男女問わず「リードしてほしい」と頼んでくる人たちがいて、普段とは違う新鮮な体験ができた。LGBTの多い場ではあるが、特に自分のセクシャリティを確認されることもない。ちなみにタンゴのダンスパーティは、一人でフラッと出かけてその場にいる人と踊れるので必ずしも固定のパートナーは必要ない。上述の質問に対する回答は「ひとそれぞれ」だ。ペアダンスのパートナーは自分の半身でもあるので、清濁併せ呑む人間愛のようなものは生まれると思う
21世紀のタンゴ
タンゴ音楽は19世紀ころに発生し、20世紀にダンスも含めて世界に広まったとされている。男女の社会的な立場や役割が明確だった頃に踊り場のルールや服装の基準も出来ていったので、今の感覚とは合わない部分があるかもしれない。タンゴ音楽自体に、どこか古臭い昭和歌謡の雰囲気があるので、ある種のコスプレ的に紳士淑女を演じてみるのも楽しいし、演じなくてもよい。21世紀の今、タンゴは世界中の都市圏に広がり、人々の意識も変わってきているのだと思う(筆者がタンゴを始めたのが2016年なので、先輩の話や動画を頼りにするしかないのだけれど)。ここで伝えたいのは、男女の間の「官能」とか「情熱」だけではなく、タンゴは人間同士の身体を使ったコミュニケーション、自分が自分でいられる世界そのものだということ。この認知が広まらないと、現代社会でタンゴ人口を増やすのは難しいかもしれない。
さいごに
私個人としては、官能的で情熱的なタンゴも素敵だと思っています。ただ、そのイメージだけが先行してタンゴの間口を狭めているとしたら勿体ないなぁと常々。「いやぁ踊りはちょっと。」「なんだか高尚な世界で敷居が高い。」「露出の高い服は着られない。」そんな言葉を聞くたびにもどかしい思いをしています。ダンサー仲間と執筆しているオンラインタンゴマガジンでも、今回の話に通じるテーマに少し触れているのでぜひご覧ください。