先駆者の不安と力
どうもこんばんは。今日は、一日天気が悪いものの、しなければならないことは雨よりも降ってきて、雨の中、御構い無しに動き回った結果、帰ってきた瞬間なはずなのに、お風呂から上がったばかりかのような濡れ具合に感動と興奮を隠しきれなかった忢刄です。
小ぶりの雨ならどうにかなると思い、思いっきり原チャに跨り、家を飛び出したものの、スピードが上がるにつれて、聞いてないぞと言わんばかりの雨の強さ。
あまりの雨の強さに、目が開けられなくなってきて、運転に支障が出そうだったので、目にたくさん雨をいれるゲームを開催し、無事優勝してきました。優勝商品が結膜炎にならないようにだけ、気をつけながら、今日も頑張ってゆきたいとおもてます、忢刄です。
すでに300文字以上しゃべってしまったので、前置きはこのあたりに、、
今日は、先駆者の不安と力について考えてゆきたいと思います。
誰しもが、何かを始めることは怖く、誰かに誘導されたり、同じ道を歩きたいとお思いでしょう。
失敗する事も怖いし、ばかにされるのもいや。
だから何もしないってのはなんのために生まれてきたの貴様は。
と問いたくなってしまいますよね。
ここで、僕が感じた話を。
先日授業の発表で、それぞれが課題を発表する機会がありました。
その際、最初に発表した人が、僕の想定していた内容とは少しずれた発表をしました。
その時、僕の記憶は、曖昧になりがちなので、僕が、課題を理解し切れていないのか、彼が、理解し切れていないのかの二択の選択肢となりました。
そして、その先駆者(発表者)に自信があればあるほど、僕が間違えたのかと不安に煽られてきました。
実際は
正解なんてない
というあたかも自分の住んでる世界がアーティストの世界かのような結論となって千秋楽を迎えましたが、このように先駆者には、その後の言動を操る力があります。
それは、気持ち、態度の持ちようによってコントロール可能なのですが、自信があればあるほど、本人が正解。周りが不正解。
不安が増えるにつれ、本人が正解、周りが正解、もしくは周りも不正かいを感じ、不安を抱く。
このように、他者を操る事ができる力を強めてきます。
後者になればなるほどに、前例という者が増えてゆき、他者、自分のどちらが正しいのかを明確に判断することが増えてゆき、考える余地がなくなってきます。
考える事こそ、生きている意味だと思うし、考える余地を与える事も共存していく上て必要なことかな、と。
たまに話が下手くそな奴が、結論や答えから物事を述べ、考える余地を与えない人がいますよね。
何が楽しくて生きてんだろと誰しもが思ったり、思わなかったり、、
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