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他者への不寛容

こんにちは。


昭和な洋食屋さんで昼飯を食べていた。

これでどこか解ったら通ですね。

隣席の女性、恐らく20代後半か30代くらい、がマスターに何やら話を。
尚、お店はお店は、マスターと息子さん?が調理場で、女性が給仕。
何だか私のオーダーを取った時も、日本語の発音が微妙だったので、海外の方なのかな?店内BGMはずっと80年代ポップスが流れ、昭和45年開業のそのまま、といった感じ。私はこういうお店、大好きです。
その女性、オーダーの取り違いに遭ったらしく最初は、「あのう、あとどれくらいで出来ますか?」と、小さな声で。マスターが、「あー、あと5分くらいかな」そこから作り始める様子。
マスターが作ろうとしていたら、どうやら後から来た私の方が大盛り飯やコンソメスープが二杯、と早く出て来て更にメインディシュも早く出た事に大層不満な事をマスターに伝え、何やらマスターが現金を数え始めた。結局その女性はお金を返金されて、店を出た。細かくはBGM、秀樹のヤングマンで聞き取れなかったが、作ろうとしてる様を見止めて、何故私のが、的な文句を言うのだから、私のが不満だったんだろう。
なお、彼女の頼んだメニューはその額からランチメニュー。私のはグランドメニュー。目の前で数えていたのでイヤでも判ってしまった。
まあ、昭和な店ならあるよね。令和の今、クレーム処理マニュアルなら、一言取り違えの詫びを入れた上で、客を待たせるよう丁寧な対応をしましょう、が普通だが昭和な店の昭和なマスターにそれは通用しません。詫びたら負けな価値観です。通用する訳がありません。
しかし、平成生まれで若そうな、言うなれば比較的ゆとりを持って愛されて育ったんだろうな、的なその女性にはそんな価値観は理解出来ません。何故なら、これに於いて言うならば彼女は100パー正しいから。正しさの前に人間の価値観や背景は不要です。しかも可哀想に、返金されたと言う事は、腹を空かした彼女は3時手前で昼飯が食べられない。待たされた挙げ句、隣に座ったオッサンが大皿に盛られた白米を食券渡して座って数秒でバクバク喰い始めている。これはイライラしただろうなぁ。一方、返金したマスターは何だかこれもブツブツ悔しそうに、ポテトを切り始め、玉ねぎを切り始めました。
カニクリームコロッケを喰いながら、私自身に置き換えるとどうか?と考えました。

確かに、私生まれてこの方、オーダーミスで飯が来ない、的な事を何度も経験しています。一番トラウマになったのは、幼少時分、家族に連れられて行った成田空港近くのホテルレストラン。家族や親父の友人家族だけ飯が運ばれて私のが一向に来ない。とうとう来ないまま皆飯が終わり、母が店員に聞いたらオーダーミス。また、この親父の友人家族とは他の飯屋にも良く行きましたが、私の大好物、肉の万世でも同じ事がありました。泣きました。泣いてる私に親父は、男なら飯ごときで泣くな、みっともない、お前のせいで飯が不味くなる、と更に切れられる始末。泣きっ面にションベン状態な事を少なくとも3回は味わっています。大人になってからも食券制の店ですら数回あります。ある太麺ナポリタンの旨いチェーン店では、延々待たされて明らかにオーダーミス?というモノを堂々出されたり、或いは延々来ないのでどーなってるん?と聞いても邪険に扱われた事にモヤッとして返金も受けずに帰った事もありました。先日も牛丼と豚カツを出すチェーン店で、フライヤーを多分勝手に閉じられていたようで、20分待たされた後にこれから作ります、とかも。流石にイラッとしました。そうして四角四面どころか、こっちも忙しいんじゃボケ、黙って待ってろ、的な扱い。
イヤですよね。うん、凄くイヤ。更に空腹で他のヒトが食べてるのを眺めると強烈にイラッとします。そういうものです、人間は。
そこで、人間の寛容性を思うのです。どこまでだったら許される?許されない?は勿論だけど怒りの対象は適切か否か。どう、怒りをぶつければ良いのか?等。チェーン店の場合と個人商店、でこの辺は変わると思います。
特に本日の昭和気質の店ならば、もう正論は先ずもって通用しない、がベストな考え方かと思います。言うなればミステイクもスパイス、位の感覚でないと、もう入らない方がいいとその女性を眺めながら思いました。何故なら昭和テイストの洋食屋さんだから。昭和の時代はある意味それでも許されました。
ただ、今は令和。店もモノも情報も溢れ、金さえ出せるなら選び放題。金が無くても選べる。シッカリとオーダーを聞いて、順番通りに出て来るサービスを期待するなら、チェーン店の方が公平です。私はそのチェーン店ですら、何度も憂き目に遭いますが、昭和生まれの私は我慢が美徳と誤った価値観を詰め込まされているのでイライラしながらも我慢します。
チェーン店であれば、バイトの可能性。バイトは安いお給料の可能性。その、安価な人件費で安価に我々に安心安全な食を等しく提供するのだから、感謝しなさい、と教え込まれました。自分も若い頃、アルバイトで様々働き、その艱難辛苦を味わって来た就職氷河期世代。我慢に我慢を重ね、我慢しながらが飯を喰ってます。
結局、飯を作ってくれるヒトは偉い。これが真実であり正論。食べる側は自分の心身状態や知能、財布、諸々合わせて選べばいいんです。ただ、その女性を眺めながら私は思いました。もっと怒っていいんだよ、と。
相手は昭和気質。何故返金せにゃならんかったか、腑に落ちていない様子でした。解らせて今後オーダーの取り違いをさせない為には、もっと切れて正直に怒りや悲しみを露にしたら、多分謝りサービスの何かでも貰えたでしょう。何らかの交換条件を提示していたようでしたから。多分店側が舐めた対応を取ったのは、甘く見ていたから。感情を感じないと、解らないのが昭和世代。特に女性なら涙が有効です。楽しみにしていたのにこれはヒドイ、遅くになってしまったランチタイム、近場には三金など、名店が行列を作るなか、私はここに来て和牛ハンバーグが食べたかったのに、、、と嘘でも悲しめば交換条件を呑んで呉れた事でしょう。そうした感情理解によるプラスオンがあるのは個人商店だからこそ。チェーン店にはありません。チェーン店ばかりで食べていると、そうした感情の等価交換は味わえません。何故ならナショナルチェーン店は、安心安全な食を、等しく腹一杯に食べさせたい、が共通理念みたいなものだから。その等しく、には自分たちの利益も当然含めています。旨い、と言う感情は作る前のサービスから始まり、これもマニュアル化されているので、安心安全な環境の元、マニュアル通りに加熱処理され、調理された食材をマニュアル通り盛り付け客に提供し本部の定める利益を得る為に働く。これが彼らの使命だから、そこに喰う前の客の感情は基本全く要らない。感情ではなく、銭を落とさせる消費心理に効率性、導線、宣伝、商品開発、これがあれば充分。銭を落とさせる為の接客であり、確実に消費させる為の応対。これだけ。
その事を理解せずに、チェーン店の、当たり前のサービスを、それが標準、などと思ってしまったら、この様な悲しい別れを生む。
何故悲しいか。それはカニクリやら和牛ハンバーグがめちゃくちゃ旨かったから。なんとなれば二杯出されたコンソメスープすら旨かった。如何にも昭和、だった。この味わいを味わえずに、半ば喧嘩別れをしてしまうのは惜しい、余りに惜しい、そう思った四谷の打ち合わせ後でした。














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