掃除機とクイックルワイパー
下書き状態のまま一夜明けてnoteを書いている。昨日は卑屈にな自分が顔を出して、素直に話ができず落ち込んで帰ってきた。内省したりここに書き込む気力もない時はいっそ眠るのがいいと経験上わかってきたので、全部今日の僕に任せて寝ることにした。
と言っても寝るまでにまだ葛藤があるのでスムーズとにはいかないのだけれど、最終的にその選択ができるようになったのは成長かなと思う。
先日1週間かけて大掃除をしてから、毎日トイレ掃除から初めて洗い物と床の掃除機がけを軽くやる習慣ができ始めている。まだ始まったばかりだけど今の所続いている。
そして気づいたのは「埃って毎日こんなに溜まるんだ」ということ。
今まで部屋がめちゃくちゃになってからしか掃除しなかったので知らなかったので正直びっくりしている。そりゃこれを何ヶ月も何年も放置したら掃除が大変になるわけだと。
さっきそのルーティーンをやりながらふと思った。僕らの心も部屋みたいなもので、そして毎日埃が舞っては落ちているのだと。
昨日きれいだったとしても今日は汚れている。昨日いい日で心が前向きだったとしても、ふとした出来事に少しずつ影が落ちていたりする。
心にも段差や角や、物影、埃や汚れの溜まりやすい場所がある。放っておくと段々気分が沈んできたり、場合によっては鬱になってしまったりする。鬱になると回復しても元の心には戻らずどこか空っぽな状態が続くらしい。
プリンターのインクをこぼしてしまったところはどれだけ拭いても取れなかった。染み付いてしまってもう取れないようになる前に対処しなければいけないのだ。
毎日小さな埃や汚れを取るように、心の部屋も毎日ちょっとずつ掃除を繰り返すのがいいのではないだろうか。昨日降ってきた大きなゴミも今日の朝、掃除機で吸い込んでしまえばいい。
そしてたまに見落としていた大きな部分が見つかったりする。大掃除で洗濯機の排水溝という盲点を発見し、ぐえ〜と言いながらきれいにした。いわゆる昔から残っている心の傷、トラウマというもの。
そういうものも毎日小さな掃除を続けていることで、向き合う時の嫌さやダメージが少し軽減されるような気がする。小さなことを毎日やるという習慣が大きな汚れにも「とりあえず手をつけてみるか」という気持ちで取り組むきっかけになってくれる。
昨日卑屈になってしまった部分に今日は掃除機とクイックルワイパーでもかけてやろうと思う。
読んでくれてありがとうございます:-D
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