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もう一度あの話を聞きたかった

昨日は浅生鴨さん、田中泰延さん、燃え殻さんのトークイベント「いいかお前ら、とりあえずヤフーでググっておけ。」を観に行った。

酔っ払った燃え殻さんが終始湿度の高い悩みを鴨さんに語り、鴨さんがあっさりカラッとそれを乾かして、泰延さんが要所要所でちゃんと回収してくれていた。

燃え殻さんの話は全然明るくないのにどうして嫌な気分にならないんだろう。それはきっとえぐれるぐらい自分に向き合った素直さが見えたからだ。

「死がどうしても怖いんです」と延々話していた。

余命が決まっている知人の目を見てしゃべれないとか、母親が癌で死んでほしくないとか、ただの愚痴ではなくてこういう出来事があってこう思おうとしたけれど、どうしてもダメなんですよね。という心からの話だった。

そして浅生鴨さんの「生きることも死ぬことも同じようなこと」という言葉に救われる。何度も忘れたふりをして聞いてしまうのだと思う。と言っていた。

浅生鴨さんの本の発売イベントだったのに燃え殻さんの人生相談会みたいになっていた。しかしそれがよかった。人がこんなにナイーブな部分を素直に出しているところを観れる機会なんてそうそうない。


死の話もそうだけれど「フィクション」の話が面白かった。

小学生の頃いじめにあって掃除用具入れに閉じ込められた。この箱はタイムマシンだと妄想することで乗り切っていたらしい。

妄想が生きていくために必要だった。

変えてしまいたい過去を変えてしまえるのがフィクションだ。事実と違ってもそうであって欲しかった「本当」があればいい。嘘が人を救うことがある。

それが本当ならば過去は変えてしまえばいい。

そんな話が帰ってからも、今日起きてからもずっと残っていて思わず曲にした。

スマホのボイスメモでパッと録った。


普段は自分の思っていることを曲にしているけど、たまに他人のことをそのまんま曲にしたくなることがある。

それは共感しているというのもあるけど、多分「もう一度あの話を聞きたかったから」だ。

子どもが初めての運動会でリレーをするときや、飼っている犬がクッションをめちゃくちゃに噛みちぎって気まずそうに隠しているところを記録しておきたくなるように「またそれを見たい、聞きたい」と思った時に他人のことを残しておきたくなるのだ。

いや、自分のこともそうか。残しておきたかったんだ。感情を揺さぶる出来事を出来事のまま置いておける手段の1つが作曲だったのだ。

昨日の話がまだ消化しきれていない。だからまた聞きたかった。燃え殻さんが鴨さんの話を何度も聞きたいと思ったように、僕はフィクションの話を。

結局、「だから僕はググらない」の話はあまり出てこなかったけれど確かにググっても出てこない「人の内面」がたくさん見れたイベントだった。

帰り道、空に月を探したくなるような切ない夜も悪くなかった。


読んでくれてありがとうございます:-D

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