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あなたが死んでも世界は変わらないけど

「サポートベーシストであり古くからの音楽仲間の突然の訃報を受け、未だメンバー全員気持ちの整理がついていません。」

後輩バンドのツイートで、あるバンドマンが死んだことを知った。

殺人事件らしい。
どこかのクラブのセキュリティーに殴られて心臓が破裂したそうだ。

あまり話したことがなかったからか、その人の顔は知っている気がするけれど知り合いだったかもいまいち思い出せない。

だけど音楽シーンなんて狭いもの。

関西に地域を限定するなら知り合いを数人経由すれば目的の人に会えるのではないかというぐらい意外と小さなコミュニティーだ。

その中でもさらに自分に近いところで人が死ぬのは流石に胸がざわっとするものがあった。


それが1ヶ月前の話だ。

たった30日間の間に僕は知り合いだったかもしれない人の死をあっさりと忘れて日常を過ごしている。

あるスタジオの前で飼われていたオードリーという大きな茶色い犬が死んだことについて書こうかと思っていたけれど、死という共通点でふとそのことを思い出して書いている。

全く悲しみはわいてこない。

その時はざわっとしたけれど、今となってはニュースで知らない誰かの死亡事故を見て「へえ、死んだんだ。」とただ思うように淡々と書くことができている。


オードリーが死んでも、大阪のバンドマンが死んでも、世界は何も変わらない。

同じ街で暮らす人の生活や気持ちひとつ変わらない。

ただ命が消えて犬小屋が空っぽになっただけ。ただ人が死んで街に一人分のスペースができただけ。

なんの影響もなく経済は回っていくし明日は来る。

スーパーから野菜や肉がなくなったりしない。火山が噴火したりもしない。

朝になれば始発が出て、昼になれば会社員たちが吉野家で牛丼を食ったり、なぜか弁当を路上販売している本屋に唐揚げ弁当を買いに行く。

チワワやミニチュアダックスは近所の公園を散歩している。ライブハウスでは毎日いろんなバンドやシンガーソングライター やアイドルがライブをしている。

何も変わらない。


それでも世界から見たらなんの影響もないようなちっぽけなスペースは、確実にこの街のどこかに、誰かの胸の中に大きく存在している。

オードリーを可愛がっていた人たちは寂しいだろう。あの人の友人たちは僕よりずっと平穏に戻るのに時間がかかるだろう。戻れないかもしれない。

同じ種類の犬はいるけど、背格好が似ている人はいるけど、「全部同じ」は存在しないのだ。

だからその穴がぴったりと完全に埋まることはない。


たまに誰にも必要とされていないんじゃないかと勝手に落ち込むことがある。

近くを見渡せばこんなに好きでいてくれる人がいるのにバカだよなと思うけど、心や脳みそはよくバカになる。

でも誰かと笑い合ったり誰かが好きになってくれた時点で僕の形がその人の中にできるのだ。

置き場所や大切さは違うけれど、生きとし生けるもの、想いがこもったもの、その全ては場所をとって存在している。

別に世界が変わらなくてもいい。全ての人に求められなくてもいい。

ただ自分のスペースを大事にとっておいてくれる人が笑顔や涙をこぼしてくれるようにいればいい。

僕がいなくなったら泣かないでとも思うし、泣いてくれてありがとうとも思うだろうな。


読んでくれてありがとうございます:-D

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