ポジティブというネガティブ
「元気」
いい言葉だと思う。
これがないとはじまらないし、形なのか僕の持っているイメージのせいなのか分からないけど見ているだけで安心するような文字だ。
クロノトリガーという大好きなゲームで、荒廃してしてしまった未来の世界がある。そこには入るだけで体力が回復するすごい装置があるんだけど、人々は希望をなくしていて元気がない。
だけど主人公たちが恐ろしいミュータントを倒して、わずかに残っていた種を持ち帰ってきた。その種を渡して「元気で」と言葉を交わすシーンで
という返事が返ってくる。元気という言葉自体に元気があるような気がしてくる。
しかし「元気出していこうぜ」と言われるのがとても辛い時がある。こんなにいい言葉なのにどうしてだろう。
友達に言わなくてもいい余計な一言を言ってしまって怒らせてしまった。ラインも既読はついたけど返事がない。明日も朝から仕事。気を取り直していきたいけどそうもいかないなあ。
そんな時に「元気出していこうぜ!」なんて言葉がテレビから流れる。「わかっとるわい!」「言われて出たら苦労せんわい!」と思う。
それは多分このしんどさを無視されているように感じるから。無視ならまだマシで「落ち込むなんていけないよ」と悲しい気持ちを否定するために「元気」が使われることもある。
「がんばれ」もそうなのだけど、こういう時に言葉が悪者にされてしまう。
言葉は悪くなくて、気持ちをなかったことにされるのが嫌なんだよな。
ポジティブっていうのは、後ろ向きな気持ちを否定してねじ伏せて上から覆いかぶせることではなくて、荒れた大地で暮らす中でそっと手渡される種のようなものなんじゃないかな。
がんばってきた人ほど、弱さをねじ伏せてパワープレイをする。でも同じようにミュータントを倒して来れる人は実はそんなに多くない。
僕は弱さを無理矢理パワーで超えてきたところがある。自分のことを許さずにやってきたから人に対しても厳しかった。
それに気づいた時なんでやられて嫌なことをやってるんだろうと思って、押しつぶさないように意識をするようになった。自分のことも許すことを1番に考える。
「ポジティブというネガティブ」は文脈に必ず現れる。
目的が相手を元気付けることではなくて、自分の正しさを押し付けるだとか、相手の価値観を否定することだからだ。そういう気持ちは必ず表現に変わる。
「あなたのことを思って」と思う時ほど自分が気をつけていきたい。
読んでくれてありがとうございます:-D
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