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続・画面の向こう側にいる人を思い遣る

皆さま、こんにちは。
今回、違うことを書こうと思っていたのですが、週末のニュースから、前回書いたこちらの記事に改めて思うところがあったので、急遽そちらについて書こうと思います。

週末に起きたこと

それは、とあるテレビ番組の出演者が、SNS上で視聴者からひどい誹謗中傷をされた結果、亡くなってしまったらしい、というニュースです。
亡くなられた出演者の方に対しては、心からご冥福をお祈りします。
出演者の方が亡くなったこととSNS上で行われた誹謗中傷にどこまで直接因果関係があったか、は本人でしか分からないので、言及は避けます。
しかし、誹謗中傷の書き込みがされていたことはインターネット上で、私自身も確認できました。

言葉の重み

今回の誹謗中傷はTwitterやInstagramといったSNSを使われていました。
SNSの怖いところはだれでも閲覧できる、ということもそうなのですが、私が特に思うのは
 ① 音声ではないので、時間が解決してくれない
   ※読み手が消せないことが多い
 ② 読み手が書き手の感情どおりに受け取るとは限らない
という2点ですね。
心の傷になりうる書き込みが延々と残ってしまう、見たくなくても目に入り続けてしまう、ということはとてもつらい話だと思います。
書き手以上に読み手にとって、書かれた言葉は「重い」ものと思います。
また、書き手が「そんなつもりはなかった」と言ったとしても、読み手がどう解釈したかが重要なので、読み手に配慮した書き込みが求められます。
読み手の「スルースキル」が大切だ、といった考えもありますが、書き手が読み手に求めるのは強者の理論であり、誰もに通じる考え方ではないと私は考えます。

匿名のメリット・デメリット

もう一つ今回問題視されているのがSNS上での「匿名」による書き込みであることです。
テレビ番組の出演者ということで相手の方は個人情報をある意味「晒して」いるわけです。逆に、誹謗中傷をする方は個人情報が守られている前提に立っています。それを「有名税」だから問題なし、というのは私は間違っていると思います。
おそらく当人を目の前にしても同じことは言えないでしょうね。。
匿名であることのメリットもあると思うんですけどね、結局このようなデメリットが目立っていくと禁止されていくんだよなぁ・・・。

SNSを使ったコミュニケーションを考える

結局SNSってNetworkingなので、コミュニケーションツールであること、すなわち、相手となる人間が実在していることを認識しなくてはいけないんだと思います。
特に最近「想像力が足りない」とよく聞きますが、本当にその通りだと思います。
 ・自分が今ここでこの発言をしたら、読み手/聞き手はどう思うのか?
 ・自分が今ここでこの行動をしたら、周りの人にどう映るのか?
たとえ、相手が目の前にいなかったとしても、いると想像して考えていかないと、ストレスフルな社会にしかなりません。
SNSを使ったコミュニケーションは便利な反面、使い方を間違えると、取り返しがつかなくなることを念頭に置いておかなければいけないと思います。

おわりに

ここまで考えてみて、やはり、ダメなものはダメなんだな、と思います。
誹謗中傷も含めて注目されたことで番組側の狙いは達成されている、というコメントも見ましたが、誰かの命が失われるような手法・狙いは明らかに間違っています。
誹謗中傷した書き込みを罰する法律の議論が始まるかもしれませんが、そもそも誹謗中傷した書き込みが存在しなければ不要な議論なんです。
視聴者が、画面の前にいるであろう相手の方を少しでも思い遣れば、中傷しなかったかもしれないし、書き方が変わったかもしれない。
結果、今回失われた命は守られたのではないかなぁと思わずにはいられません。とても、とても心が痛いです。

この記事を読んでくださった方が、怒ったりしてそのことをオンライン上で表現しようとしたときに少しでも思いやりを持って、書くのを思いとどまっていただけたり、傷つけない表現での書き込みにしていただけたら幸いです。

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