ドサクサ日記 9/19-25 2022
19日。
「カイナウメミノケンコウウメシ」のことが引き続き気になるが、それは端に置いて推薦文を頼まれた小説のゲラを読む。文章を読む仕事は好きだ。ただ、音楽を聴きながらの読書がほとんどできないので、音楽制作の仕事がガッツリあるときは読み書も書き物も手が止まってしまう。面白い音があると文章そっちのけで音を追いかけてしまうからだ。インストならともかく、歌モノの場合は不可能に近い。気がつくと2ページくらい目が滑っていて、何度も読み直すということになる。
20日。
宮沢章夫さんの訃報をニュースで知る。エッセイ『よくわからないねじ』『牛への道』をニヤニヤしながら読んだ日々のことを覚えている。エッセイとは違うタッチの小説『不在』も好きだった。すべての著作を読んだわけではないが、パッと3冊の本が思い浮かぶくらいには影響を受けたと言える。どうか安らかに。宮沢さんの声をラジオで聞いたとき、想像してたのと全然違うと思ったことが忘れられない。
21日。
渋谷のイメージフォーラムで映画『重力の光』を見た。困窮者を支援するNPO法人「抱撲」の代表、牧師の奥田知志さんは「ユダを許してこそのキリスト教ではないか」と問う。「いわんや悪人をや」という親鸞の言葉を思い出した。宗教は誰を救うのか。私たちは分かり合えないレベルのそれぞれの違いや、人間らしい間違いや過ちを、どうやって包摂すればいいのか。社会からこぼれ落ちる人には自己責任という冷たい視線が向けられ、失敗した人には燃えつきるまで言葉の礫が投げつけられる。その先には、投げつけたあなたさえも灰となる焼け野原しか待っていないというのに。考えなければならないことばかりだ。宗教不信の時代に必要なのは、対価を求めない静かな祈りかもしれない。これだけ祈れば私は救われるという在り方は、一円でも安いものを求め、サービスを強要する姿勢とたいして差がない。
22日。
カセットテープ『後藤と東郷』が発売してから、ほとんど何もできていなかったが、D2021の主催で2マンライブを行うことになった。とても嬉しい。思えば、コロナ以降はソロのライブ活動がほとんどできていない。このライブではトークパートもある。東郷清丸は独立独歩でユニークな活動を続けている。音楽産業のルーティンに丸っと身を預けるようなことはせず、常に問いを持って活動しているように見える。この日は、哲学研究者の永井さんと東郷清丸と一緒に、サステナブルな音楽活動や、身の丈にあった音楽活動のあり方について話したいと考えている。音楽の良し悪しとビジネスの大小を等式で結ぶことはできない。それぞれの切実な表現。あるいはもっと猥雑で、適当な暇つぶしとしての表現。別になんだっていいし、どう存在してもいい。成功のイメージもまた、たったひとつなわけがない。
23日。
更新された『プラネットフォークス』のインタビュー動画を観ると、自分が喋りすぎだなと感じる。彼らがちゃんとそれぞれに思慮深い言葉を身の内に持っているのに、「眼鏡のスポークスマン」がそれに蓋をしてしまっているのではないかというのは、あながち間違っていない視点だと思う。ただ、その役割を自ら買って出続けているわけではなくて、みんなが思い思いの時間を過ごす休日にひとり現場とやらに向かい、作品について語らねばならない時間を経てのことでもある。基本的には毎日スタジオで音楽的な瞬間に浸っていたい。しかし、それでは世間との接点がなくなってしまう。なかなか難しいことだと思う。あたりを見回せば広告だらけで、その事実に辟易としているが、自らもまた広告活動に参加しなければやって行けない。せめて、パイ(有金とも言う)を奪い合うのとは別の在り方を模索したい。
24日。
耳鼻咽喉科でもらった薬が段々と効いてきて、咳の症状が和らいできた。一時は不安になるくらい気管支の奥まで違和感があったが、それも解消されてきた。ただ、午前3時に出演した佐久間宣行さんのオールナイトニッポンから睡眠のリズムが崩れてしまって、昼間に身体がダルくなってやたらと眠い。ほとんど朝と呼ぶべき深夜に朗らかなラジオ番組を持つ佐久間さん(同世代)は、超人かもしれない。
25日。
自動車の運転をしていると、ときどき恐ろしく意地悪な運転手に遭遇する。たかだが1台の車に先を譲ったくらいで、目的地への到着が著しく遅れることはない。にもかかわらず、血眼になって後続の車の進路を塞ぐ人がいる。偏見の可能性が高いが、傲慢な運転をする確率が高いと感じる車種がいくつかある。友人は「そういう人たちが好む(確率が高い)車を作ったことが凄いよね」と感心していた。