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ドサクサ日記 11/20-26 2023

20日。
アジカンのスタジオの機材セッティング。録音用の機材を買い足してもらったので、これで96kHzで録音をすることができるようになった。これまでは96kHzにするとADATの回線が半分になってしまって、ドラムを録音する場合は48kHzを選ぶしかなかった。これからはストレスなく、毎度同じ設定で作業に挑めるのが嬉しい。アナログ回線になった分のケーブルが足りないので、これから自作する。

21日。
若い才能がネット上でいろいろ言われているのを読むと、なんだか悲しい気持ちになる。出る杭を打ってしまう社会というか、ふわっとした空気というか、そういうものの一部にはなりたくないなと思う。自分の知らない方向に飛び抜ける人が出たとき、それを反射的に踏んづけるのではなく、どういうことなのかと注意深く見つめて、必要なときに応援したり、傍らに無言で立ったりできる大人になりたい。

22日。
鎌倉公演初日。朝早く起きて、プラカードを自作した。今回のツアーのど真ん中に立てるのは少し違うような気がしたので、舞台セットの片隅に立てる。日常や青春を歌った楽曲たちには、遠い国の戦争や大量虐殺のことは直接的に書かれていない。しかし、この空気の向こうには、確実にそうした悲惨な現場はあって、繋がっている。コンサートは現実と離れた場所に行くための装置ではないと思う。それは俺だって、日々の悶々とした何かをギターのストロークや大きな声を出すことによって吹き飛ばしたい。多幸感のある残響に身を浸していたい。実際に、世界の戦争や紛争や貧困や環境破壊のことなど全く忘れて、楽曲の世界に没頭している。ただただ楽しい2時間半ではあった。それでも心のどこかに、自分の幸福感と切り離せない、世界の悲惨さを引っ掛けておくようなフックを持っていたい。

23日。
ツアーファイナル。とはいえ、振替公演があるのでファイナルではないのだけれども。2008年に作ったアルバムの完全版を完成させて、こうしてまた鎌倉に戻ってこれて嬉しい。江ノ島電鉄さんの協力には本当に感動した。三浦半島の根っこあたりで、ちくちくと地道に活動してきてよかったなと思った。終演後は鎌倉のお店に移動して、古くからの横浜の仲間たちと乾杯した。若い頃に戻ったような気分。

Photo by Tetsuya Yamakawa

24日。
スタジオでケーブルを制作。買ったほうが早いし、時間をコストと考えると安いのだけれど、自分で作ったほうが楽しいのでそうしている。1mのケーブルを10本買うと、プラスチック包装などの大量のゴミが出てしまう。切り売りのケーブルから作ったほうがゴミが少ない。と思いきや、プラグはすべて個別包装になっていて、それはそれでプラゴミが出てしまった。難しい問題だなと思う。DIYは楽しい。

25日。
疲れが2日後くらいにやってくるのには、もう慣れた感じがする。処方箋薬局に行き、尿酸値を下げる薬をもらう。継続して飲んでいた薬の量では下げ止まり感があったため、処方量が増えた。薬剤師さんが「症状が悪化しましたか?」と心配してくれた。俺は痛風の症状が出たことがないので、なんだか恥ずかしい気持ちになったが、健康だと伝えて薬を受け取る。痛風は恥ずかしい病気ではないのだけど。

26日。
「MUSICIANS FOR PALESTINE」という声明に署名した。イスラエル・パレスチナの問題はとても複雑で、何とも言葉を綴るのが難しいと思う人が多いと思う。お前はハマスの側に立つのか!という言葉を投げかけられることもある。しかし、これはイスラエルとハマスのどちら側に立つのかという問題ではない。敵と味方に分けるための声明ではない。迫害されている人々の側に立つための言葉だと思う。

声明文の和訳ができたので紹介したい。

「我々は、黒人差別、反ユダヤ主義、イスラモフォビア、反アラブ主義、パレスチナ人への人種差別を含む、あらゆる形態の人種差別に断固反対する。」

「パレスチナのための音楽家たちの声明」より

SNSは人々を敵と味方に分けることが増えたように感じる。自分もそうした空気に参加してきたのかもしれないという反省がある。けれども、僕たちは注意深く、そうして世界を敵と味方に分けようとする言葉や思考に抗わなければならない。

それは時にとても難しい。イスラエルの人々や、パレスチナの人々のなかには、その迫害の歴史のなかで、もはやそうした思考を持てないくらい追い詰められた人たちがあると思う。僕たちは複雑な関係のなかで柵のようになった敵と味方という思考から、いくらか離れて考えたり語ったりできる場所にいる。ゆえに「私は無関係だ」と傍観者になるのも容易いのだけれど、僕たちのような場所からでなければ語れない言葉やビジョンも、必ずあると思う。