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2人の師

私は小学1年の時に父と死別しました。
「なんで自分に父親がいないんだろう。。。」
「なんで父親が向こうの世界に選ばれたんだろう。。。」
と父の死をずっと引きずっていました。

これには何かの意味があるんじゃないか!と、寂しさが募ると一人空想ばかりしていました。例えば仏壇の前で手を合わせていたら、父親が目の前に現れるんじゃないかと。もちろん父は現れませんでした(笑)

扇谷②

その頃、母の友人で、家族ぐるみで仲良くしていたK夫妻のヒデちゃんに、自分の感情をぶつけたことがありました。
「ヒデちゃんになんか、父親のいない子供の気持ちなんてわからないでしょ!」と。

「ユミちゃんに父親がいないって、俺に何の関係あるんだ!」と一蹴されました。

(なんてひどい大人だ!)と、ヒデちゃんのことを恨んだのですが、よくよく考えたら、優しい言葉をかけてもらいたかったのと、自分に「可愛そうな人」というレッテルを貼っておくことで、甘えても仕方ないでしょ!とわがままな発想でいました。

この言葉のおかげで「ないものはない」という事実を認め、それは他人にはなんの関係のないことと、ようやく父の死を受け入れようと気持ちが変化し始めました。小学4年生の頃だったと思います。

大人になってから、このやりとりをヒデちゃんに話したら「オレ、そんなひどいこと言った💦覚えてないよ!」と笑われました😊

扇谷③
大好きな松島四大観・扇谷

これと似たような出来事があります。それは御朱走を立ち上げる時のこと。(やろう・いや、やめよう・・・)と一歩踏み出すことが出来ず動けない自分がいました。

「あなたはさぁ~人がどうした、こうしたって人のことばかり話すけど、本当の自分の気持ちを言わないね。ここ(ハート)じゃなくて頭(思考)で話している。」

本当の自分の本音と対峙していない、他責思考の自分に気付かせてくれたのがヨガの師の尚子先生の存在でした。

鷲尾山①
松島の鷲尾山。達磨大師が庵があったなんていう伝説もある山

私は、周りの目ばかり気にして、常に外側に意識を向けていました。そこからは、自分の内側に意識を向け、もう一人の自分と対話するようになりました。

どうにもならないことは最善を尽くし天に任せる。一見、思わしくない状況になっていると思っても俯瞰の目で見るようにつとめる。自分にとって最悪な状況だったとしても、それに耐えられるよう自分の器(ヨガやラントレ)を日々作る。
そうしていると、自分の心が少しずつ変化していきました。

私にとって二人の師は、3次元ををしっかりと生きなさい!3次元をしっかりと生きた先に、目に見えない高次元からの導きがあると教えてくれたヨガの先生なんです。

この2人に共通して言えることは浮世離れした仙人みたいな方たちです。2人とも読書量や勉強量は半端なくてそれくらいの域に達してみたいものですが、私はこれからです。

ちなみにヒデちゃんの息子さんとは、一緒に仕事(ヨガイベント)をしたり、一緒にお酒を飲んで、お互いの仕事の話ができるようになりました。現在コロナ禍で一緒に飲めないのは残念ですが、人生のリレーというのでしょうか、親から子へとご縁を大切に生きていきたいと思うのでした。

文章とまったく関係のない写真は35本目・地元松島低山ウォーク。コロナ禍でしたがツアーを再開することができ感激したツアーでした。

御朱走(ゴシュラン)こと鈴木由美子 

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