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朝日町で山形県全市町村踏破!<日本全市町村踏破>

8月19日朝、山辺町を発ち、一旦白鷹町に戻ってから、国道287号を北上し、山形県未踏破最後の市町村、朝日町へと向かう。

朝日町はりんごとワインの里らしい。山形県出身の知り合いも、ワインで有名だとか言っていた。

町の中心部から、県道113号に入り、北西の山中に向かう。途中、眺望の良い場所があったが、山また山。全く人里が見当たらない。

県道の終点にあるのが、国指定名勝の「大沼の浮島」。

まずは入口の浮嶋稲荷神社にお参り。後述する浮島を、飛鳥時代に役證覚(修験道の開祖・役小角のことらしい)が発見し、神秘を感じて、弟子の覚道を留め置き、その覚道が祠を建てたのが始まりだとか。鎌倉時代・このあたりの荘園領主だった、鎌倉幕府創立期のブレーン・大江広元(今も朝日町の北隣にある大江町に地名が残る)の進言で、源頼朝の祈願所となった。

また江戸時代には三代将軍家光により、幕府の祈願所とされ、葵の紋の使用を許された。西に聳える朝日山の修験の地として栄え、三十三の宿坊を構えたという。また出羽三山参詣路にもあたり、宿泊や案内でも賑わったと。

かつては神社にも神職として勤め、これまで日本各地の神社に参拝して来た筆者だが、実は今回朝日町を踏破するにあたって事前調査し、初めて大沼の浮島や、浮嶋稲荷神社の存在を知った。これほどの繁栄を極めた神社ながら、現在お世辞にも広く世に知られているとは言い難い状況なのは、幕府の祈願所であった事と、神仏習合の修験道の聖地であった為だろう。どちらも、明治になって大きな圧力を受けたものであるから。

神社の向かって右奥の階段を降りると、大沼が見えて来た。

大沼は標高307mに位置し、南北240m、東西200mの大きさを持つ。特徴的なのは、湖面に浮かぶ小島が、風もないのに動き回るという事で、その神秘性が信仰の対象となって来た。

奈良時代、ここを訪れた行基は、六十余りの島々に、日本の諸国の国の名を付けたという。今も、それを受け継いで、国の名前が付けられている。

この浮島は、沼に生えるヨシの地下茎で出来ており、沼の西岸に生えるヨシ群落から遊離して形成される。特に春から秋にかけての朝夕に島の動きが見られ、それによって吉凶を占ったという。鎌倉幕府や江戸幕府の信仰が篤かったのは、これによるのだろう。

沼の北西寄りに浮かぶ大きな島は、葦原島といい、これは湖底に根付いていて動かない。また、遊離した島が、岸に根付いてしまうこともある。かつては六十余りを数えた島々も、戦後の環境の変化等により、十数個に減ってしまったらしい。

神社から沼に出てすぐに見える、沼の南西に浮かぶ大きな鳥居がある島は、出島といい、これは浮島ではないのだが、かつて雨乞いをするための祭壇となったという。

沼の周りは遊歩道になっていて、一周できる。一部起伏のある場所もあるが、概ねは平坦だ。
途中、いくつかの浮島や、もう少しで浮島になりそうなヨシの塊(あるいは小さな浮島が岸辺に寄っていたか)、石灯籠、縁結びのご神木などを目にすることが出来た。

大沼散策後、神社に、麓の社務所で御朱印を頂ける旨書かれてあったので、訪ねた。社務所は、大沼から降りてきたところにある集落ないので、県道113号沿いにあり、「大行院」の表札が掲げられている。かつての大沼三十三坊の総元締にふさわしい立派な門構えだ。

これで、山形県全市町村踏破達成。
記念というかついでというか、朝日町から北上して大江町に出て、最上川と左沢(あてらざわ)の街並みを眺めた。最上川水系の流域面積は、山形県の面積の約75%に相当し、名実ともに山形県を代表する河川。

東北地方全227市町村のうち、223踏破。残り4、達成率98.2%。
日本全国1741市町村のうち、1686踏破、未踏破55、達成率96.8%。

サポート頂けると、全市町村踏破の旅行資金になります!また、旅先のどこかの神社で、サポート頂いた方に幸多からんことをお祈り致します!