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訓子府町で道東全市町村踏破!<日本全市町村踏破>

前回の投稿の最後に、置戸町の東側の境の写真を掲載したが、置戸町の東には、訓子府町(くんねっぷちょう)がある。

前回の置戸町、前々回の陸別町と同じように、訓子府町にも、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が通っていた。

訓子府駅の駅舎も、置戸駅、陸別駅と同じく、新しく立派である。

訓子府駅には線路は残っていないが、プラットホームがそのままの状態で残っていて、非常にリアルだ。

駅舎内では、今も食堂が営業しており、ご当地グルメなどを出している。また、この時は気温が10℃台前半で寒く、暖房が入っていた。夏に廃駅の中で暖房が入るというのは、異例ずくめ過ぎて目まいがするほどだ(笑)

ちょうど、バスがやって来て駅に停車した。地域の交通の要であった駅は、鉄道が廃止になった後も、同じ役目を果たし続けている。これは、置戸や陸別でも同じだった。陸別駅には、バス会社の有人窓口もあった。

駅の近くには、小さな丘が造らており、そこにはふるさと銀河線を走行したSL・C11の動輪レプリカが置かれていた。複製してでも、こうしたものを置くところに、廃線、廃駅に対する、地元の人々の強い思いが感じ取れる。それは町や集落の中心にあって、親や祖父といった祖先を思い起こし、町民としてのアイデンティティを自覚する象徴となっている。

以前、旧北見相生駅についても同じようなことを書いたが、最早一つの信仰と言って良く、神社仏閣と同様の存在だ。北海道の開拓された町は歴史が浅く、鉄道の開通は町の黎明期にあたるので、尚更神社仏閣に近い存在になってくるのだろう。北海道においては神社仏閣の創建年代と鉄道の開通年代がほぼ同じ事が多い。内地であれば、その年代に数百年とか千年以上といった開きがあることも一般的だ。

訓子府では、本物の神社にも参拝した。この日の未踏市町村踏破はここで終わりなので、時間に余裕がある。訓子府神社は、町の中心にある、比較的大きな公園と、一体になっていた。開拓時代、町民の憩いの場を兼ねた、精神的中心として、一緒に整備されたのだろう。

祭神は天照大御神、創建は明治44年。訓子府駅の開業と同じ年である。

この神社をネットで調べると、フクロウが棲んでいると書かれていた。もう暗くなって来ていることもあり、姿を見る事はなかったが、神前で拍手を打った時、自分の頭の斜め後ろ上方から、「クルクル」という、くぐもった鳥類の鳴き声が聞こえた。これが恐らくフクロウのものなのだろう。

訓子府駅前の交差点。訓子府も、直線道路沿いに平屋が並び、北海道の開拓地らしい街並みだ。上の写真の右側にややレトロな建物が一軒。住吉金物店とある。近年レトロ調に建てたのか、昔からあるものを補修してあるのか分からないが、少なくとも看板は町の黎明期に作られたような雰囲気だ。なお、建物全体が写っている写真は、この投稿にヘッダー画像に使っている。

交差点にあった温度計を見ると、何と11.3℃まで下がっている。日時は7月17日19:30頃。この日の夜は、10℃を下回った事だろう。

すっかり体が冷え切ったので、近くの温泉に入った。ここの入浴料は、何と50円!恐らく、福祉施設ということで、税金で運営されているのだろう。それにしても安い。無料や「お気持ち」のところを除けば、日本で一番安い温泉なのではないだろうか。

訓子府町の踏破により、オホーツク総合振興局管内の全市町村踏破となり、同時に、道東(オホーツク、十勝、釧路、根室の各振興局管内)全市町村踏破を達成した。
北海道残り12町村。
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