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奥多摩遭難記 其之四

薄暗い谷を少しずつ下って行く。夜を明かした場所はやはり水源で、谷を下って行ったら、思った通り谷の中央に沢が現れた。下って行けば行くほど、谷の幅も沢の幅も大きくなって行く。
地理的に言って、この沢を下って行けば多摩川に出られる事は間違いなかった。これで、道に迷う事はないだろう。しかし一方で、「登山の際に道に迷ったら、上へ上へと登った方がいい。山頂を目指して行けば、どこかで登山道に出る。下って行くと、裾野が広がって、より一層迷うことになる」という、登山で道に迷った際の鉄則とも言うべきものも、聞いたことがある。

道に迷った結果の現状である訳で、人の手が入った道にいる訳でもなく、正真正銘の手つかずの自然の中にいるのだから、今も道に迷っていると言って良かった。が、沢を伝っていけば、多摩川に出る事も間違いがなく、その意味では進むべき道ははっきりしている。
どうすべきか悩ましいところだが、今下っている谷も、運命を託せる程心強くは見えない。八方見渡しても、全然人の手が入っているようには見えないからだ。もしかしたら、一度も人類が足を踏み入れていない場所かもしれない。そんな、あまりにも自然なままの自然は、驚異なのだ。完全な異界である。だから、この沢を信じ切って下っていくというのも、不安だった。

そこで、試しに、谷の両横に聳える崖も登ってみようと試みた。崖の5~10m程度上に茂っている樹木のところまで達すれば、上へ上へと登っていけるかもしれない。そう思って、崖に足をかけてみる。少しは凹凸もあるから、手や足を引っ掛けるところもある。
しかし、一、二歩上がってみたところで、自分の全体重を支えて崖を登るのは、あまりにも難しい事だと知った。そもそも、ロッククライミングなど一度もした事がない。おもむろにやってみて出来るものではなかった。途中まで登って力尽きたりすれば、落下して谷底に叩き付けられ、骨でも折るかもしれない。そうなったら、脱出は絶望的だ。やはり多摩川に出るまでひたすら沢を下るしかないのだ。
それでも、諦めきれずに、沢をある程度下っては、ここは登れるかもしれないと、計五回は崖をよじ登ることを試みたと思う。が、結局その試みは全て無駄に終わった。

もっとも、沢を下って行く不安は、単にその異界感によるだけではなかった。沢を下って行ったら、どこかで滝になっている可能性がある。沢を上って行く際、滝に阻まれてそれ以上上れない、という話があるが、それは逆の場合でも同じだ。滝があって人が上れないような場所は、その上から下ることも出来ない。

そんな事を考えながら下って行くと、案の定、行く手に滝が現れた。かなり落差がある。10~20mくらいあったのではないか。いや、実際は5mくらいだったかもしれない。何にせよ、飛び降りることのできるような高さではなく、その絶望感が落差をかなりのものに見せていた。

両脇は、崖である。何度も登ることを試みたが、登る事の出来なかった崖だ。滝の両脇の崖は途轍もない時間をかけて削られていったものらしく、今までで最も急で滑らかな絶壁になっており、登ることなど望むべくもない。
踵を返して、再び沢を上って行っても、滑落した地点に戻るだけだ。そして、滑落して来た斜面を登ることも出来ない。登れないような斜面だからこそ、滑落したのだ。
前方は降りる事の出来ない滝。それ以外は登る事の出来ない崖。進退窮まった。もうどうする事も出来ない。

恐る恐る、滝口(滝の落下開始地点)ギリギリに立って、下を眺めてみた。足がすくむ。そこらの一軒家の屋根よりは大分高い。二階の屋根よりも高いかもしれない。そんなところから飛び降りて無事な訳がない。しかも、下は岩場だ。骨でも折ったら命に関わる。

途方に暮れていると、ふと、長く太い枝か木の根が見つかった。相当な長さで、それこそ10mくらいはある。持ち上げて見たところ、なかなか重くて丈夫だ。しかも表面も滑らかだ。これを上手く使えば、降りられるかもしれない。
滝口に立って、この棒を滝壺に刺し込んでみた。ぐっと棒が少し沈み込んで、上手く刺さった。思い切り力を込めても、それ以上は刺さらない。滝壺は、あまり深くなく、滝壺の底の土も、程良い固さだった。

後ろを振り返った。この滝を降りる事は出来そうだ。しかし、降りてしまったら、もう登る事は出来ないだろう。つまり、元の道に戻る事は出来ないのだ。脱出の選択肢が、これで一つ消える。その事に少なからず躊躇いがあった。
いや、仮に滑落地点まで戻っても、それ以上登れない事は、分かっているはず。迷う事はない。この滝を下る事が、唯一の脱出法なのだ。

思い切って、滝口を蹴って、跳んだ。棒を抱きかかえるようにする。そのまま、すーっと、垂直に滑り落ちて行く。小学校の校庭にあった、登り棒を下るのと同じ要領だ。あっと言う間に、じゃぽっと足が滝壺に着いた。無事、滝を下ることが出来たのだ。
まさかこんな事がその場の思い付きで出来るとは思わなかった。この時も信じられない思いだったし、後から何度思い返しても、信じられない。読者の方々も信じられないだろう。しかし、本当にこのようにして滝を下ったのである。そうでなければ、この谷で朽ち果てる他なかったのだ。

この先にも、こんな滝があるかもしれない。が、この棒の長さを超える落差でなければ、全て同様に乗り越える事が出来るだろう。かといってこの棒は持ち運ぶには重過ぎたので、ここに横たえておいた。万が一使う機会が来たら、取りに戻ればいいだろう。その際には手間と時間は掛かるが、滝を下りられるだけの強度がある分、本当に重いのだ。
幸い、この後、この棒を取りに来ることはなかった。似たような状況がもう一度あったような気がするが、もう少し落差の小さい滝だったので、その時は、その場にあるもっと細い棒を滝壺に刺し、そこを支点にして、棒高跳びの逆の要領で、弧を描きながら着地したような記憶がある。ただ、この二回目の滝下りに関しては、記憶が曖昧だ。

こうして、進退窮まる危機も乗り越える事が出来、さらに沢を下って行った。谷の幅も次第に大きくなり、沢には岩も多くなって来るが、両脇の崖も高さを増して来た。崖の上にはどこまも木が生い茂っている。前方、谷の向こうには、別の山が見えていた。この谷は恐らく、多摩川に垂直に向かっている。そして多摩川を挟んで、向かいに山があるのだと思う。だから向かいに見えているあの山よりは近くに、多摩川と、道路があるはずだ。そこまで行けば助かる。それだけを希望にして、黙々と沢を下りた。

しかし、行けども行けども、一向に多摩川は現れなかった。この沢が多摩川に注ぐはずだというのも、所詮は地図や知識の上だけの話である。奥多摩自体、生まれて初めてやって来た場所なのだ。地理の知識については自信はあるものの、こんな人跡未踏の山の中で、果たして自分の見立てが合っているのかどうか。

武蔵五日市で入手した登山地図や、御前山の尾根道にあった案内板には、御前山から奥多摩湖のほとりまで、1時間45分と書いてあったと思う。道を見失ったサス沢山山頂あたりからは、1時間もなかったはずだ。しかし、今朝、滑落地点を出発してから、既に2時間が経過していた。いくら何でも、おかしいのではないか。

考えれば考えるほど、訳が分からなくなって来て、焦るばかりだ。自分が今どこにいようが、この沢を下って行くしか方法はないのだが、それにしても、段々とまともな精神ではいられなくなって来た。

そんな時、前方の崖の上の森の中に、木造の小屋のようなものを見た。営林署か何かが使うものだろうか。ようやく、ようやく人の手が入っているのを、文明の証を見る事が出来た!もう、里は近い!
そう思って、沢を下り近付いて行って、よく見ると、単に茂っている木が交差しているだけだった。あまりの喪失感に、膝から崩れ落ちそうになる。そうした事が繰り返し何度もあった。吊り橋が見えたこともある。しかし、ことごとく目の錯覚であった。
この谷には、人の手が入った痕跡は一切ない。それどころか、鳥のさえずりすらも聞こえない。ただ、沢の流れる音と、自分が土を踏む音しかしないのだ。そのことも精神を不安定にさせた。

繰り返される錯覚と、そうと分かったときの絶望、動物の気配すらしない不安とで、頻繁に足が止まった。何度もへたり込んだ。「もう無理だ」と何度も口に出した。昨日滑落してから、真の闇と極寒に耐えて谷底で夜を明かし、滝をも乗り越えつつ沢を下って来たが、そうした中で気力も体力も消耗し切っていた。このまま、消えてしまいそうな気分になった。
が、へたり込んでいると、間もなく体が冷えて来る。歩いているうちには気にはならないのだが、立ち止まるとすぐに冷えて来る。昨晩よりはずっとましだったが、南側に山があるこの狭い谷には、朝になっても日が差し込んで来ない。
仕方がないから、また歩き出す。寒さによって無理矢理に奮い立たせられた。それに、とにかく前に進まないことには、何一つ始まらないのだ。弱音を吐くのは自由だが、生か死か、ここにはそれしかない。生きたければ、前に進むしかなかった。

それでも、一向に多摩川に出ない事は、繰り返し己を不安にさせた。向かいの山にも、全く人里は見えず、人の入った痕跡もない。ただただ森が見えるだけ。谷自体はかなり急角度に下っているはずなのに、少しも谷が終わる気配がない。
やはり、何かおかしいのではないか。もしかしたら、もう自分は狂ってしまって、同じところをぐるぐる歩き続けているのではないか。そんな思いで胸が一杯になり、思わず、全力で叫んだ。

「助けてくれええええええええ!」
後にも先にも、これより大きな声を出したことはないというくらい大きな声で、叫んだ。そして聞こえた。
「くれえええ、くれええ、くれぇ……」
周囲の崖のせいか、向かいの山せいか、こだまが響いた。沢の流れる音以外に何の音もない場所だ。こだまは聞こえ過ぎるくらいによく聞こえた。

「助けてくれええええええええ!」
歩きながら、何度も、何度も叫んだ。叫ぶたびに、「くれえええ、くれええ、くれぇ……」とこだまが響いた。「誰かいませんかああああああ!」とも叫んだ。それもこだまとなる。
誰も、いない。人がいない場所で助けを呼んでも、誰にも届かず、何も起きない。それが現実だった。

もう、精も根も尽き果てる……その寸前というところで、突如、両側の崖が尽き、真横に、太く、青黒い流れが目に飛び込んで来た。多摩川だ。助かったのだ。緊張の糸が一気に切れ、しばらくの間、膝をついて、その場に立ち尽くした。
時間は、午前9時くらいにはなっていたと思う。滑落地点からここまで、実に4時間はかかっていた。

写真は、「其之壱」に掲載した、武蔵五日市の駅前の周辺観光地図の写真に、手を加えて行程図としたもの。赤色が遭難するまでの徒歩の行程、×印が推定滑落開始地点、紫のルートが、推定滑落コース。推定脱出ルートを青で書き加えた。

こうして見ると、サス沢山から奥多摩湖のほとりは、かなり近い事が分かる。サス沢山の西の麓まで、湖畔の県道が伸びているし、滑落した方向が逆だったら、もっとずっと楽だったろう。

行程図の地形をよく見ると、御前山山頂からサス沢山山頂までは、順調に尾根を伝って来た事が分かる。サス沢山の右側が大きく窪んだ谷になっている。ここへ落ちて、北に向かって谷を下り、多摩川に出たという訳だ。

地図を見ていると、すぐ近くに奥多摩湖があるだけに、何でこんなところで遭難を、と思う向きも多いだろう。しかし、それは地図上の事でしかない。湖から直線距離で1kmくらいしか離れていない谷に落ちても、生死が危ういのが、人間にとっての現実なのである。

google mapで確認したい方はこちら(空撮)。
https://goo.gl/maps/jxvdLASbxaT2

さて、多摩川には出たものの、そこには人家も道路も見当たらない。とりあえず、岩の多い多摩川の河原を下流へと向かって歩いた。やがて、渓流釣りをしている男性が目に入ったので、近付いて話し掛けた。
「里はどちらでしょうか」
と道を聞く。男性はぎょっとした目でこちらを見る。まるで妖怪でも見るような目だ。半狂乱になって歩いていたから、涙の跡もあったろうし、滝壺に飛び込んだりしているので、下半身は泥だらけだ。

「実は昨日山に登っていたら谷に落ちまして、ようやく這い出て来たのです。帰るのに、駅かバス停へ行きたいのですが」
と事情を説明した。
男性は下流に見える橋を指差して、あそこにある橋を渡れば、人家のある道に出る旨教えてくれた。そこから、橋を渡り、車道に出て、人家の見えるところまでたどり着くのに、30分はかかったと思う。しかし、ともかくも、ついに文明のあるところまで戻って来たのだ。

人家のある道は、国道らしき幹線道路だった。左側にトンネルが見える。多分、あのトンネルの向こうに小河内ダムと奥多摩湖があるはずだ。だとしたらここから奥多摩駅は遠い。昨日購入したフリー切符は持っていたが、財布は滑落時に落としたらしく、バスに乗る金が全くなかった。
人家の近くに、公衆電話が見えた。財布も無くしているし、警察に助けを求めよう。ただ、お金は1円もない。だから、受話器を外して、例の、緊急電話用の赤いボタンを押した。このボタンを押したのは、人生で初めてであり、それから後の生涯で、一度も押していない。

ボタンを押すと、ブーという音がして、それから間もなくセンターのようなところにつながった。
「事件ですか、事故ですか」
と係員に聞かれる。事件か事故か、事件でもあるような、事故でもあるような。
とりあえず、山で遭難して、財布をなくしたので、帰れない旨を伝えた。すると、係員の声から、緊張感が消えた。
「では、近くの署を案内しますので、電話して下さい」
係員はそう言い、電話番号を教えてくれた。そして電話は切れた。流れるような応対だったため、こちらが1円もなく、電話出来ない事も伝えそびれてしまった。

仕方なく、目の前の人家に助けを求めた。程なくして、主婦と思しき中年女性が出て来た。当然ながら何事かという雰囲気だが、事情を説明し、警察を呼んでくれるようお願いした。
女性は、すぐに警察を呼んでくれた。すぐに行くから、ここで待っているようにとのことだった。

待っている間、女性はパンと温かい飲み物をくれた。人の情けが身に染みる。色々な思いが込み上げてきて、半ば泣きながらパンを貪り食べた。そんな様子を見ながら、女性が言う。

「よく熊にやられなかったわねえ。隣のじいさんは、毎年栗を拾いに山へ入るけど、今年は熊に背中をやられたから、もう行かないと言ってたよ」
熊どころか、生き物の気配もしなかったが……この寒さだから、熊は既に冬眠してしまったのかもしれない。ともかく、熊に遭遇しなかったのは、運が良かったと言っていいだろう。

やがて、パトカーがやって来た。女性に深くお礼を言って、パトカーに乗り込む。奥多摩駅前の交番に着くまではそれなりの時間が掛かったが、パトカーの中で、どんな会話をしたかは全く覚えていない。

パトカーが交番に着き、奥の部屋へ通された。ズボンや靴、靴下が泥だらけだったので、まず洗ってきなさいと、外の水場を貸してくれた。
泥を洗い落として、再び奥の部屋へ戻ると、刑事ドラマよろしく、カツ丼が用意されていた。容疑者取り調べの際のカツ丼は、後で費用を請求されると聞いたことがあるが、この時は純粋な行為で、タダで食べさせてくれた。本当に人の情けが身に染みる。

それから、調書の作成が始まった。財布をなくしたと申し出た以上、遺失届の作成が必要なのだろう。遭難した経緯や場所などを、詳しく話した。調書を作成しながら、担当の警察官が言う。
「まあ、流石に財布は出て来ないでしょう。諦めて下さい」
と。まさか山狩りを行う訳でもあるまいし、当然である。それから、こんな話も警察官から聞いた。
「この間も、このあたりを家族連れが登山していたんだけれども、中二の息子さんがやっぱり谷に落ちて行方不明になってね。発見されて、特に怪我とかはなかったんだけども、ちょっとおかしくなってしまって、病院へ行ったよ」
なるほど、よく分かる。自分も発狂寸前だったのだ。もし自分が中学生の時同じ目に遭ったら、肉体はもちろんのこと、精神も無事でいられたかどうか。

手続きも済んで、奥多摩駅から電車に乗った。当時は横浜市緑区長津田のアパートに、兄と住んでいた。
出掛けたのは日曜か祝日だったが、既に平日になっていたから、家には誰もいなかった。
家へ帰って来て、とりあえず大学のサークルの関係者に電話した。この日は、サークルで集まる約束があった。しかし、もう出掛けるような気力も体力もなかったので、事情を説明し断った。

それからしばらく、何をするのでもなく、家の中で呆然としていた。家という物が、とても奇妙に感じられた。昨日の夕方から、今日の午前中まで、ずっと崖に囲まれた谷底にいた。人の手が少しも入っていない、純然たる自然だった。それが、今は人が作った壁と天井に囲まれた家にいる。この家という物が、どうにも異質で仕方がない。まさに「不自然」そのものだった。この感覚は、この後数日続いた。

兄が家に帰って来た。血を分けた兄弟である。人は、人の中で暮らしているのだなあ、と、当たり前の事を改めて思った。一晩、自分と自然しかなく、そのまま死んでしまう可能性の中にあったために、人や人が作った社会の有り難さを感じるとともに、そこに違和感をも感じてしまっていた。

兄に、遭難の話をすると、大爆笑された。それを見て、人がいる社会に、生きて帰って来たのだなあと実感して、安心した。兄は、車で長津田駅前のラーメン屋に連れて行ってくれ、おごってくれた。人の世には、こういう食べ物があるのだということを、改めて噛みしめた。

奥多摩遭難記 完

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